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2023年6月トヨザキ賞(書評筆者:汐見游) 『ポール・ヴァーゼンの植物標本』 ポール・ヴァーゼン・堀江敏幸著

 美しい本に出逢った。
 文庫本より一回り大きい白い本に、半透明のパラフィン紙のカバーがかかり、中央に一対の赤い花が透けて見える。カバーの上部に黒い文字で書かれた『ポール・ヴァーゼンの植物標本』の文字に目をやると同時に濃い牡丹色の帯に目が行く。「美しい標本と、胸をしめつける掌編との二重奏」帯に書かれた白い文字に誘われるように、そっとページを開く。
 一枚目の植物標本はエーデルワイス。私の中で植物標本とは子供のころ夏休みの宿題で作った押し花。パリパリと乾燥した植物だった。しかし、このエーデルワイスは刺繍のような質感で上品で美しい。それに続く四十枚の植物たちも、下部に筆記体で美しく書かれた採集地と植物の学名を記す文字と相まって、植物標本と言うよりは、それぞれが繊細な絵のようにも思える。これらを作ったのはどのような人なのだろうと思い始める頃突然に、『記憶の葉緑素』という不思議な題名の、フランス文学者であり作家の堀江敏幸氏の文章が始まる。
 この植物標本はおよそ百年前ポール・ヴァーゼンと言う一人の女性が、スイスやフランスで採取した植物を百枚ほどの標本に作製したもの。それに日本の骨董商が南フランスの蚤の市で出会い、日本に持ち帰り展覧会で紹介したという。作者が展覧会でこの標本に出会ったのかどうか経緯はわからないが、作者は標本に出会う事で、三十年近く前の多分フランスであろう旅の途中で出会った、オロバンシュという名前の古道具屋の主人との、長距離バスの乗換でできた時間にすれば僅か二時間ばかりの、しかし、濃く深い邂逅を思い出す。
 作者は古い教会前の広場をぶらつきながら、路地の奥に見つけた橙色の明かりを灯した古道具屋で、旅の時間つぶしのために哲学者ルソーの『孤独な散歩者の夢想』と小説家ルブランのペーパーバックを買う。ふと目をやった植物採集のための植物を入れる胴乱から、古道具屋の主人との、森の中に分け入り主人の人生を辿るような、それと共に植物採集の世界を収集していくような会話が始まる。二人の会話は主人を植物採集の世界に導いてくれた叔父の人生、ルソーや植物学者リンネの人生へと広がっていく。 
 同時進行で作者は、この標本の製作者ポール・ヴァーゼンが当時何歳で、この標本をどういう意味合いで作製したのか、どういう経緯でこの標本が世に出て来たのかを標本に記載された採集地から、フランス文学者ならではの知識と視点で推察し解いていく。
 「繊細で生々しい思い出」「形のない時間の手触り」など美しい表現、余りに深い思索、全てを紹介することができないのは残念だ。作者はこの標本に出会い、過去の自分を旅したのだ。
 作者の『記憶の葉緑素』を読んだ後に後半で紹介されている五十四枚の標本を見ると、野や高山を、随伴者と共に楽しそうに植物を採取し、繊細な指先で標本を作る若い百年前の女性に出会えた気がした。
 ふと私は、若いころ、野鳥を探して川辺や海辺を、野や山を歩いたことを思い出した。師と何人かの仲間と共に野鳥を探し、双眼鏡のその先に初めて見る野鳥を見つけた時の喜びは、今も体内に蘇る。
 ポール・ヴァーゼンが標本に採取日時を記さなかったのは、作者が推察するように、標本を見ることで彼女の中にはその時が瞬時に蘇ったからに違いない。
 物や本に出逢って埋もれていた記憶が蘇ることはよくある。あなたもこの本を手に取り見つけてほしい。埋もれた記憶の時を。

発表想定媒体:新聞書評欄

トヨザキ賞 汐見游さんのコメント

 気に入りの喫茶店の片隅にある小さな書店コーナーで、偶然この本に出逢いました。その想いを書評という形にして、社長賞を頂けたことは、私にとって予期せぬことであり、それだけに大きな喜びでした。
 しかし、どれほど感動した本であっても、書評と言う形で誰かに紹介し伝えることは難しく、この講座で毎回四苦八苦しています。
 ただ、書評を書くことで本をより深く読むようになり、自分の中に潜り込んでいく感覚は、癖になりそうと思うこの頃です。



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