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羅生門の続き

書かなかった、書けなかった時期を数年挟むのでそれがそのまま歴ということにはならないけれど、十年前の梅雨の頃、ノートに書き溜めていたのがわたしと現代短歌との始まり辺りだった、と思う。
辺り、なのは、その前か後か分からない頃に授業の課題で一首詠んでいたからで、良く言えば静謐、率直に言えば白けていたような授業の中で、わたしがそれを読み上げた一瞬、ほう、という空気があったようなことを、今でもなんとなく覚えている。ほう、となったのは誰か一人かもしれないし、わたしかもしれないけれど。
恐らくはそれよりも前の年、同じく授業で羅生門の続きを書くという課題があって、片面印刷の小さいプリントの裏面にまでみっちり書いたわたしのそれは、職員室で話題になった。らしい。これは聞いた話なのでちゃんと確かで、そしてわたしは教室よりも職員室に心を許している生徒だったので、一瞬のほう、よりも、余程大きな体験として、今でも心の中で大きめに生きている。
もしも「あなたの恩人は誰ですか」と問われることがあるならば、職員室の愉快な恩師たちと、老婆と下人ということになるのかもしれない。
わたしの行方は誰も知らないけれど、誰にも知られることなく十年後も何か書いているというのが、羅生門の先にあった続きだ。


今日よりも明日、明日よりも明後日はより良い私でいられるように

/当時の山形さなか(細部は推定)

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