見出し画像

仏教系学園ラブコメ小説 「ダーリンはブッダ」 第十回 北校へ

北校へ

 ヒカルがさらわれた瞬間、冴馬はデブ子の部屋で紅茶を飲んでいた。そこに、小さな違和感が訪れた。

「…………?」
「どうしたの? 剛玉君」
「何か、今、起こった気がする。何だろう、この感じ……」
「おなか、痛いの?」
「いや、なんか変な予感がする……こういうことって、よくあるんだ……」
 すると、マンションのドアを乱暴に叩く音が聞こえた。
「おい、冴馬! 北校の連中がヒカルをさらって行ったぞ! ヒカル、バイクに縛られてどっかに連れて行かれた! あの方角だと北校だ!」
 冴馬は血相を変えてドアを開けた。
「高橋君、それ本当?」
「バカヤロ! 嘘ついて何の得があるんだよ!」
「すぐ、行く」
 すると、デブ子が冴馬の服の裾をつかんで言った。
「待って! あたしを置いていかないで!」
 冴馬が振り返る。
「大山さん、今はそれどころじゃないみたいだ。多分、ヒカルさんは僕のせいでさらわれた。僕は、ヒカルさんを助けに行きたい。」
「あたしを置いていくの!?」
「……いや、置いていかない」

「じゃあ、どうするの?」
「一緒に行こう」


 冴馬はデブ子の顔をじっと見つめて言った。デブ子はここ数ヶ月の間、外に出ることに強い恐怖を感じていた。体が風呂場に入らなくなってからはお風呂にも入っていない。食材の買い出しに冴馬について行きたかったが、玄関を乗り越える勇気がなかった。

微笑んで冴馬だけを送り出したが、自分の太った姿を人に見られるのがこわかった。もっと、繭の中のような自分の部屋の片隅でじっとさなぎのように動かず、羽が生えてくるのを待ちたかった。しかし、それがいつになるのかはわからなかったし、永遠に訪れないのかもしれなかった。
「あたし……嫌っ!」
 すると冴馬は落ち着いてデブ子に語りかけた。
「大山さん、大山さんはね、とても辛いことがあって現実を遮断してしまったけど、現実っていうのは、面白いものなんだ。何が起こるかわからないんだよ。君が傷ついて、今も痛いのはよくわかる。だけど、全ては向こうからやってくる。今、君に向かって波が押し寄せて来ている。それに答えなきゃ沈むだけだ。きっとこれは、君が君を乗り越えるチャンスなんだ。だから、僕に賭けてみて。」

「ええっ……?」
「これから、何が起こるのか、身体で確かめに行くんだ。大山さん、外の空気を吸いに行こう。吸ったら、何か起こるかもしれないよ」


 デブ子は振り返ってマンションの部屋を見つめた。デブ子が、犯されそうになっても、数ヶ月の間ロールケーキだけを食べ続けても、変わらず、しんとしていた部屋を。いつも変わらず止まっていた時を。
「……わかった。一緒に行く。……でも、血糖値下がるとボーッとするから、ロールケーキ持って行っていい?」
 冴馬は微笑んで言った。
「もちろんだよ。」
 するとタカハシの影からガリ子が現れて言った。
「裕子ちゃん、裕子ちゃん! 本当に、表に出てくれるの?」
「咲子ちゃん……」
「あたし、あなたのこと、一番の友達だと思ってるよ。だから、あなたが外に出てくれるの、本当に嬉しいよ……」

「咲子ちゃん……!」
 デブ子とガリ子は手を取り合った。その間、冴馬はタクシーを呼んだ。
「4丁目の足立マンション3号棟です。」
「って、お前、タク代払う金、あんのか!? 北校遠いぞ!?」
「いや、ない。」
「ないって……」
「大丈夫。乗ればなんとかなる。さあ、乗り込むよ!」 
 秋の夜は足早で、夕方五時を回る頃には全てが闇に包まれていた。 

 相原が目を覚ました時、自分の膝下に暖かな体温を感じた。そしてふと見ると、自分の憧れの人、ヒカルが自分の膝枕に眠っていたのである。
「うおっ……!?」
 ヒカルはすうすうと寝息を立てている。相原は、歯を食いしばってその寝顔を見て言った。歯を食いしばりすぎて歯が割れそうになると、やっとの思いで声をもらした。
「がっ……可愛い……」
 と。ヒカルの安らかにつぶられた瞳、愛らしい睫毛、ピンク色に紅潮した頬。形の良いピンクの唇に相原は、吸い寄せらそうだった。普段、ヤンキーばかりの学校で可愛い物など一切見る機会のなかった相原は、自分の膝の上で眠るヒカルに心の底から感動していた。
(可愛い……なんだこれ……なんでこんなに可愛いんだ? ユージのヤツ、こんな可愛い女を殴って気絶させるなんて……って、ここどこだ!? 畳!? 畳ってことは……茶室に彼女と二人っきり!?)
 するとヒカルがまぶしそうに目を細めて声を漏らした。
「う……う~ん……あっ」
 パチリとヒカルの目が開いた。相原は顔を真っ赤にして固まった。ヒカルはすぐに身体を起こすと、周りを見渡して言った。少し声が脅えている。
「ここ、どこですか? あ、あなた……北校の……前に会った」
 相原は答えられない。言い訳を考えるつもりが、ヒカルの姿を近くで見て完全に理性が飛んでいる。血が上り過ぎて言葉にならない。中学生でもないのに。
「んーぐっ、おう、な、名前……」
「えっ?」
「名前っっ、をっ、をっ、教えてくださいいいっっ!」
「あ、真光……。ヒカルです。」
「マコト、ヒカル……!?」
 途端に相原の頭の中に教会の鐘の音が響き始めた。カラーンカラーンと鐘が鳴り、青空の下、光溢れる白い教会の前で相原は鳩が飛び立つのを見ていた。
(ああ、もう、これ以上どうしたらいいんだ? なんて真っ直ぐな名前なんだ……あ、なんか痛い。胸が痛い。胸が痛いって本当に痛くなったりするのか? なんか痛い、すごい痛い。痛い痛い痛い……)

 相原が脳内で数年分の旅に出ている間、ヒカルは相原を見て、「害はなさそうだ」と感じていた。
(この人、北校の制服を着ているけど前にタカハシがやられた時教えてくれた人だし、害はないみたい……。なんで私と一緒に閉じ込められているんだろう? そうだ、早くここから抜け出さなきゃ、きっとさっきの人達が来て乱暴される……!)
「あの!」
「ハッ、ハイ!」
「ええと、名前……」
「名前!? あ、相原です。アイハラサトシです!」
「あ、相原さん……ここから抜け出す方法を考えましょう。なんか、窓がないんだけどこの部屋、鍵、開いてる?」
 北校校舎の外れにある茶室は、普段、どの生徒も近寄らない場所である。「茶室がある」という存在自体が知られていない。窓のない部屋で、蛍光灯の明かりだけがチラチラと白く点滅している。ヒカルがドアノブに手を回し、思いっきりひねる。ドアはガチャガチャと言うだけで手応えがない。
「ダメ……外から鍵がかかってる……あたし達、どうなっちゃうんだろう……」
相原もドアノブをガチャガチャと回し、ヒカルと鍵がかかった部屋で二人きりであることを意識すると、途端に顔が紅くなってきた。
「だっ、大丈夫です……俺が、俺がなんとかしてみせます! それより俺、俺は、アンタのこと……えっと、ヒカル、さん……」
「えっ……」
 ヒカルが顔を上げた。相原の身体中が痛み始めた。心拍数が上がり、喉が押しつぶされそうに苦しい。(これがドリカムの歌う、全身が心臓になったみたいという状況なのか!?)

 相原は顔を歪ませて変な顔になり、恥ずかしくて顔を覆うとしゃがみ込んで胸の痛みに耐えた。
(うう……苦しい、恥ずかしい、死ぬ……もうダメだ……何で? 何が起こっているんだ、この俺に……)
 ヒカルはそんな相原を見て、不思議と落ち着いて来た。
(なんだろう……自分よりも窮地に陥っている人を見ると、逆に安心してくる……そこまで追い込まれなくても大丈夫って気がしてきた……。大丈夫。落ち着けばきっと大丈夫。冴馬が……助けに来てくれたらいいんだけど、それは、夢だよね。何でだろう、いつも頭の中に冴馬がいて、私はそれを繰り返し再生するだけで何時間でもじっとしていられる……) 


 ヒカルはとても落ち着いて、もはや混乱しすぎて泣きそうになっている相原に言った。
「大丈夫よ、泣かないで。ここのドアは無理でも、他に出られる道があるはずよ」
 相原はヒカルの優しさに、聖母を見るような心持ちでいた。
(だっ、ダメだダメだ! ここで格好良さをアピールしないと、何のために一緒にいるんだかわからん!)
 相原は立ち上がった。黙って学ランの上着を脱ぐと、ヒカルに差し出した。
「さ、寒くなってきたからコレ、着てくれ。頼む……」
 初めてのことにヒカルは驚き、微笑んだ。
「ありがとう……あ……、あったかい」
 ヒカルは学ランを肩にかけると、暖かさにドキリとした。相原は立ち上がると背が高く、黒髪の隙間から一重の涼しい目が覗いた。学ランからは冴馬とは違う、男の子の匂いがした。
 
 「それでね-、女房が俺のこと全然大事にしないのよー。その上、うちは同居でしょう? 家に帰ると年取った母親と機嫌の悪い女房がじとーっと待っててやりきれないのよ。毎日がそうだと俺、何のために生きているんだかわからなくなっちゃうのよね。だけどね、俺にも夢があるのよ。今はしがないタクシー運転手だけどさ、家帰ったら女房の愚痴聞いて飯食って腰痛いの我慢して寝るより他ないんだけどさ、ロトシックスで1億当てたらもう、家族全員でインドネシアで暮らすっていう夢があるの! ほら、インドネシアは物価が安いでしょう? 1億あったら一生暮らせるよ!」

「運転手さん、奥さん思いなんですね」
 冴馬は優しく、静かに微笑んだ。
「ああ~、もう! なんだか兄ちゃんの顔見てたら余計なことばかり喋っちゃってごめんな! だけど喋ったらなんかすっきりしたなあ……そっか~、俺、インドネシアに行けばいいのか~。知らなかったよなあ……ハイ、到着。ここ、正門のところでいい?」
「ハイ。ありがとうございます。」
 そう言うと冴馬は運転手に向かって深々と、非常に深々と頭を下げた。ピシッと形の決まった礼は、感動するほど美しく整っていた。
「ええっ!? ちょ、ちょっとそんな、そんなに頭を下げてもらわなくても! ええっと、ええっ!? も、もういいよ! なんか俺も、ありがとう……色々聞いてくれて……」
「あの、お金……」
「えっ、お代!? いいよ! もういいよ! さあ、行った行った! 俺もインドネシア行くから! ありがとうな!」

 そう言うとタクシーの運転手は照れ隠しにぐるぐるとハンドルを回しながら道路でUターンし、顔を真っ赤にして帰っていった。それを見送るデブ子とタカハシ、ガリ子の3人は、先ほどまでぎゅうぎゅうに後部座席に詰め込まれていた。
「本当にタク代、なんとかなったな……」
タカハシが言った。
「うん。人には受け取った分を、返そうとする習性があるんだ。どんな人でも知らぬうちに偏りがないようにバランスを取っちゃうんだよね。タクシー代がなかったら、それ以上に与えることだよ。」

「お前ってけっこう、恐ろしいヤツじゃの~。」
 デブ子はふらつきながら身体を起こした。元々、背が高かった上に幅まで広くなったので、デブ子はマンガに出てくる悪漢のように身体が大きい。しかし、心はどこまでも乙女なのである。
「剛玉君、暗いの怖い……!」
 そう言いながら冴馬に抱きついてくるが、力があるので冴馬の首が絞まりそうになる。
「お、大山さん、首がくるしいから、少し緩めて……」
「あっやだ、ごめんなさい!」
 夜の闇に浮かぶ北校校舎は、オレンジ色の外灯に照らされていた。夜空に薄く白い雲がかかって、その間から星が見えた。黙って見ているとガリ子に不思議な印象を与えた。


 ガリ子は、こんな時間にいつの間にか北校まで来てしまうお人好しの友人といるのが不思議だった。なんでこの人達は、私がガリガリなのに気にしないんだろう……気持ち悪いとか、そんな目で見ずにどこか、私を頼っている風でもある……。

タカハシはガリ子に足の力がないことを知ると、黙って移動の時は肩に乗せてくれるようになった。こんなに高いところから景色を見るのは、小さな頃にお父さんの肩車で見て以来。私は今、世界一しあわせなんだとガリ子は思う。オレンジ色に照らされたこの空間に、一時、夢のような空間にガリ子はいた。
 「あっれー? 随分お早いお出ましじゃない? 駆けつけてくれてありがとう~西校の新興宗教の皆さん♪」
 ドルン……というエンジン音とともにバイクのライトが冴馬達を眩しく捉えた。ユージが愉快そうにバイクに跨がり、小首を傾げて冴馬達を見ていた。その後ろには20人近くのモヒカン刈りとリーゼントの知能レベルの低そうな、血に飢えた野獣のようなヤンキー達が片手にビールの瓶を握りしめながらたった4人の獲物を痛ぶるさまを想像し、下品に笑い合っていた。

「ヒャッハー! この間やられたばかりのヤツに、女が加わってどうするんだ!? そこのでかいのは結構、やってくれそうだけどな! ヒャーッハッハッハッハ! ヒャーッハッハッハッハ!」
 脅えたデブ子が冴馬の首筋にしがみついてくる。冴馬が静かに通る声で、北校の連中を見据えながら言った。
「どうしてそうなってしまったのですか?」
 と。



次へ 第十一回 ガリ子、善戦す。
目次へ ダーリンはブッダ

毎日、楽しい楽しい言ってると、暗示にかかって本当に楽しくなるから!!あなたのサポートのおかげで、世界はしあわせになるドグ~~~!!