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仏教系学園ラブコメ小説 「ダーリンはブッダ」 第十四回 スイトルさん 2

スイトルさん 2

 気付くと腹がひどく空いていた。いつのまにか、僕はスイトルさんの部屋で眠ってしまっていたらしい。窓からの光はもうオレンジ色で、夕暮れが近いことを告げていた。

 目覚めた瞬間、一瞬何のことだかわからなかったけど、遠くから電車の音が聞こえて、ああ、今日初めて会った人に性器を触られて、そして部屋までついて来たんだなと、ぼんやり天井を見ながら思い出した。
 起きたら汗をかいていて、何故か半勃ちだった。朝勃ちと同じ原理なのかと思った。
 起き上がって時計を見ると、夕方5時を回ったところ。立ち上がってキッチンに行くと、冷蔵庫から麦茶を出して、一息に飲んだ。喉が動くのを感じて、息をついた。
 知らない人の部屋では、麦茶を取り出すのも、何かの犯罪を犯してる気がしてならない。すごくイヤラシイ行為にも感じる。キッチンテーブルの上に置いたさっきのバナナをむいて、慌てて食べた。
「……今だったら、僕は黙って家に帰れる」
 さっきの全部のことを、何もなかったことにもできる。ここにいたら何をされるかわからない。それなのに僕の五感は何か興奮して、ピクピクしていた。
 知らない部屋のせいだろうか。 
 以前に、同じ中学の女の子に好きだと言われ、受験の前に強引に家まで連れていかれたことがあった。すごく女の子らしい部屋で、何か辟易させられたけど、なぜか部屋からはタバコの匂いがした。彼女の部屋でタバコの匂いを嗅いで、僕はその子とつい、セックスをしてしまったんだ。中学生なのにちゃんと彼女はコンドームを持っていて、何か、流石だなあと感じたのを覚えている。 
 あの部屋にはそれっきり二度と行ってない。僕は相手の顔も覚えていなかった。そういうことがあったこと自体、今日まで忘れてしまっていたんだ。
 僕は麦茶をもう一杯コップに注ぐと、飲みながら向こうの部屋を覗いた。ガラクタが、たくさん飾ってあるスイトルさんの部屋は、全ての物になにか、念が込められていた。フィギュアの配置。微妙にずらした感じと、ストーリー性のある並べ方。真っ赤なクマのヌイグルミが、女の子に襲われていた。女の子は赤ずきんのモチーフだった。よく見てみたら、そこの棚には赤いものしか置いてなかった。
 その時僕の世界が、色盲から解き放たれたんだ。色は激しくスパークしていた。
 赤いものはひとまとまりに、黄色いものもひとまとまりに。それはスイトルさんの習癖なのかと思っていたけど、後から聞いてみたら、単なる風水だった。シャア用のザクは東の棚に。タウンページは、部屋の西。時折バナナも、タウンページの横に置かれた。

 スイトルさんが部屋に帰ってくると、僕はそれまでに勝手に他人の本を広げて読んでいる自分にあつかましさに羞恥した。できることなら消えてしまいたいと、スイトルさんの机の下に潜り込んだ。
 その潜り込んだ僕を見て、スイトルさんは
「他人が家にいるのって、いいもんだなあ」と言った。
「これ、バイト先のサモサ。」
 そう言ってスイトルさんは僕を、その後の何十日かの間、家に置いてくれた。スイトルさんには彼女がいたけど、別の彼女みたいな人やゲイの人も家にいると何人もやってきて、決まって僕に「ボク? あなたは彼の一体、何なの?」と聞いた。
 僕だって何なのかはわからなかった。だけどスイトルさんはその日から僕をついでに養ってみたんだ。
 時には僕みたいに拾ってこられた人も、拾われた猫もその部屋に同時にいた。
 スイトルさんは音楽と踊りとファッションが好きな人が集まる街で、厨房のアルバイトをしていた。夜にスイトルさんのバイト先に行くと、高校生になったばかりの僕をからかいにたくさんの女の人達が長い爪で僕を突っつきに来た。
 そこにはスイトルさんの彼女もいて、彼女はとてに短いスカートを穿いて、早く死にたそうだった。
「踊っていなきゃ死んじゃうのよ」
 とよく言っていたけど、彼女に限っては本当に踊りを止めた途端に死んでも誰も不思議に思わない雰囲気を持っていた。
 スイトルさんは、そういう滅茶苦茶にバランスを崩した人のバランスを治すように何もしないでただ、そこにいたんだ。スイトルさんといると何か、ひどくつらいと感じる物が吸い取られていくようだった。
 

 ある時、スイトルさんは自分の小さかった頃の空を思い出してこう言った。
「俺は北の方で生まれ育ったからさ、季節が俺に生きていてもいいって言ってくれるのを聞きながら育ったんだ。
 黙って散歩していると冬のある時、空からラッパの音が聞こえてくるんだ。見上げると白鳥がV字になって飛んでくる。20羽の編隊が同時に二組やってくる時は、広い空が白鳥でいっぱいに埋まるんだ。鳴き声でラッパの音を鳴らしながら、世界を変えていくように飛んでくる。
 白鳥は、すげえんだ。バサバサ飛んでて何も持ってなくて格好いい。体一つだぜ? 何も持ってないアンド体一つで、その日に食べるものはこの世が与えてくれるって信じているからあいつら身一つで飛べるんだよな。
 俺はまだ、身一つにはなれねえから。
 何もなくなったら、冴馬も北に行くといいよ。きっといい餌場があって、誰かが養ってくれると思うよ。」
 スイトルさんはいつも、てきとうなことをてきとうに言った。だけど、僕にはそれのどれもが予言めいて聞こえていた。
 スイトルさんの住むアパートには、渡り鳥のように北から南へと歌を歌いながらその日の晩飯代を稼いで暮らすミュージシャンや、踊り手や、日本中の有機農業の畑でタダで働きながら旅をするウーファーと呼ばれる人達がよく泊まりにきていた。スイトルさんは仕事先で今日泊まる場所のない人を見つけると、ついつい連れて帰っちゃうみたいだった。
 ウーファーの人達は、まるで白鳥のようだった。自分の持ち物をほとんど持っていなくて、彼らは水さえあれば生きていけるように見えた。畑を耕せば食べ物が手に入ると知っている彼らは、東京で見ても変に土着で、服に土が付いていたりした。
 僕の匂いと彼らの匂いが決定的に違うということも、鼻でわかった。その頃の僕はスイトルさんの使っているトニックシャンプーの匂いがしていたし、ひ弱で太陽にあまり当たっていなかったから、太陽の匂いがどんな匂いだったか随分長い間忘れていた……。
 それだから僕は、スイトルさんがいなくなってからは、そのウーファーさん達について北へ回った。

そう。スイトルさんは途中で、いなくなってしまったんだ……。



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