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母に聞いた◇戦争体験

「終戦の日に思うこと」を新聞の投稿欄に書こうと、戦争体験者の母に聞いてみることにした。94歳の母は終戦の時15歳だった。

「お母さん終戦の日のこと教えてや、覚えとろう」と聞くと、母は「覚えてないんよ、思い出すんは、横糸が紙で縦糸が糸で出来た大きなカバンに荷物をいっぱい入れて斜めがけしとった姿だけよ」と言った。「玉音放送はどこで聞いたん」と聞くと、「私の頭に浮かぶんは、テレビドラマで見るシーンだけよ、覚えてないんよ」と言う。私は意外だったが、それが母の記憶だった。

玉音放送を覚えていないと言う母は、1945年7月26日の松山大空襲の事は覚えていて、「弟の手を引いて逃げたんよ、回りは焼け野原じゃったわい」と話してくれた。
周囲に屍があったことを鮮明に覚えていると言う。

その他の思い出を聞くと、空襲警報が鳴って防空壕に家族で逃げた事、実家が焼けて疎開した後バラックに住んでいた事など断片的な出来事を絞り出すように話してくれた。

私にとって、母の戦争の話はとても貴重だった。
そして母は続けた。「何で戦争なんかするんかねー、ろくなことが無いのに、苦しいだけよ、二度としたくないし、考えたくもない」母はそう言って遠くを見た。

暫く黙っていた母は「いっつも不安で、人間らしい生活が出来んのよ、戦争は二度とごめんじゃわい、今真っ只中にいる人は悲惨じゃなー」
母はウクライナやガザで戦火にさらされている人たちを思って自分の思いを伝えてくれた。


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