【文芸センス】太宰治『走れメロス』④太宰らしくない作品なのか
今回は『走れメロス』の最終回です。この記事では、『走れメロス』の内容ではなく、これを書いた太宰治の性格について、考えをめぐらせてみます。
個人的な見解ですが、作品と作者の関係を理解するうえで、ひとつの観点を提示することはできると思います。ぜひ、参考にしてください。
太宰治『走れメロス』
④太宰らしくない作品なのか
道徳教材のような物語
前回、『走れメロス』のテーマについて考察しました。この作品のテーマは、簡単に言えば「人を信じることの難しさと大切さ」です。
物語のラスト、人を信じられなくなっていたディオニスは改心し、メロスとセリヌンティウスもそれを許します。感動的な物語ですし、前回くわしく述べたように、そこには単なる美談や綺麗事ではない説得力があるのですが、あまりに展開が理想的すぎて、この作品を、子供に教訓を授けるための道徳教材のようだと捉える人もいるようです。
たしかに、人間の奥底を覗き見るような作品であったり、人間の嫌な部分を描くほうが、いかにも文学的ではあります。まして、作者の太宰は人の世に馴染めず苦悩した作家ですし、最後には自殺しています。そのような退廃的な人生を歩んでいますから、『走れメロス』のような美しい物語を書いたことを「らしくない」と思ったり、作家としての本心を隠した、大衆迎合的な打算を感じるのかもしれません。
人間愛ゆえの人間失格
たしかに太宰治の代表作には、『斜陽』や『人間失格』など、破滅的なタイトルの作品も多くあります。これらの作品の印象から、「太宰は暗い人」という漠然としたイメージがつきまとうのも無理はありません。
しかし、他の作品を読んでみれば、太宰治は人間が嫌いだったり、人間を蔑んでいたわけではないということが分かります。むしろ、太宰治は作家としては珍しいくらい、人間にたいする愛に溢れた人です。
それを裏付けるのが、「人間失格」という言葉です。この言葉に、太宰の人間にたいする評価が表れているのです。作品としての『人間失格』ではなく、「人間失格」という言葉を、今一度、よく考えてみてください。
「人間失格」というと、たしかに暗い言葉ですが、これは裏を返すと、「人間ってすばらしい」と言っているのと、同じではないでしょうか?
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