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【娯楽小説】小さな本屋 エクリルエマチエル〈一折目の物語〉エクリルエマチエルの秘密①

小さな本屋 エクリルエマチエル

扉(概要・目次)

 この作品では、各エピソードを本作りの用語にちなんで、おりと表記しています(一おり目の物語など)。
 エピソード(おり)は複数の記事に分割されていて、最初の記事が①です。また、一部の記事を有料販売します。

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〈一折目の物語〉
エクリルエマチエルの秘密
①     

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 街はずれにある小さな本屋エクリルエマチエル。ここではいつも、本にまつわる不思議な物語が生まれます。

 今回の物語は、最初のおはなし。エクリルエマチエルの秘密が明かされます。

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エクリルエマチエルの秘密①

 夜空にオレンジの灯火ともしびきらめかす、東洋の都の片隅の、その町外れの路地裏の、その袋小路のいちばん奥に、知ってる人しか知らない、小さな本屋がありました。すすけた古い木の建物はひっそりと静まりかえり、煙突から線香のような細い煙がひとすじ昇っていなければ、誰が見たってここは、ただの空き家に思えたことでしょう。軒先のきさきに吊るされたさびびまみれの銅の看板だけが、ここが本屋であることを物語っています。

 店の屋号は「エクリルエマチエル」。

 長いうえに意味のわからないこの店名を、まるで魔法の呪文のようにすらすら言えるのは、早口言葉はやくちことばの名人くらいのものかもしれません。ためしにみなさんも、三度、声に出して言ってみましょう。

「エクリルエマチエル、
 エクリルエマチエル、
 エクエリ、レ、マレ……」

 舌をかむことなく、すらすら言う秘訣は、「エクリル」と「エ」と「マチエル」の間にそれぞれ「・」をはさみ、「エクリル・エ・マチエル」と読むことです。この分けかたは読みやすいだけでなく、じつは店の名前の由来を知るうえで、たいへんに役立つ分けかたなのですが、その店名の由来というものについては、いつかきっとお話ししましょう。
 店の名前も変わっていますが、店の中はもっと変わっていました。薄暗い室内は、中央に吊るされた石油ランプがゆらめく炎を放射し、その明かりに照らされた小さな部屋は、奥のカウンターを除いて、背の高い本棚でぐるりと囲まれていました。棚には、たくさんの本が一枚の紙の入るすきもなく並んでいて、そしてまたその本というのが、たとえ棚がなくたって、本だけで積みあがっていられそうなほど、頑丈にできているのでした。

 ここに来るお客もみな、店に負けない一風いっぷう変わった人たちで、作家気取りの物書きとか、友だちのいない本好きとか、閑人ひまじんの金持ちとか、とにかく誰一人まともな客はいないのでした。
 そんなことを言っているうち、入口の扉をギシギシときしませながら、ひとりの客が中に入ってきました。それは眼鏡をかけて丸い帽子をかぶった若い女で、どうやらこの店にはじめて来たらしく、「怪しい店だったらいつでも引き返すぞ」という決意を、その眼鏡の下にみなぎらせているようでした。
 最初のうち、女はランプの下をくるくる徘徊はいかいし、丸い帽子をかぶった自らの影ばかり本棚に投げかけていましたが、やがて自分自身も本棚におもむき、今度はじぶんのほうが影みたいに、ひっそりと棚に貼りつきました。女は、一冊また一冊と本を手にとり、そのたびに目を丸くしました。なぜなら、このエクリルエマチエルに並ぶ本は、小説、詩集、図鑑などいろいろですが、そのどれもが、ふつうの本屋には置いてない、見たこともない本ばかりだったからです。
 それに、驚くべきは珍しさだけではありません。どの本も、その作りは寸分の狂いもないほど正確無比に計られ、そのうえ表紙の装飾などはおそろしく精緻せいち絢爛けんらんなのです。服にたとえるなら、お姫さまが舞踏会で着るドレス。採寸にしても装飾にしても、「こんな細やかな作業はとても人間の指先でやれるものではない」と謎におもうほど、どの本もその細部にまで神経が行き届いているのでした。

 そう。まるで、小人が作ったみたいに……

 女は棚から一冊の童話集を手にとりました。音もなく開いたページから、ほのかに花の香りが立ち昇ります。満月をしたような淡いクリーム色の紙は、女の指にしっとりと吸いつき、紙の切り口をなぞってみても、まるで一枚一枚ヤスリをかけたようになめらかです。また、表紙は凹凸のある革張りで、どっしりと分厚い本でありながら、その重みを革が巧みに吸収し、本を持つ女の指に、痛みや疲れをまるで感じさせません。そして、その革の表紙には、どうやって入れたか分からないほど細かなはく押しで、金色の植物文様がみっちりとほどこされているのでした。
 女はこの本を買うことにして、4500ビブラという本にしてはなかなかいい値段、豪勢な料理をたらふく食べられるくらいのお金を財布から出すと、店の奥、部屋を仕切るように取りつけられたカウンターへと向かいました。カウンターの中には一人の老人が椅子に腰かけていて、うつろな目を中空に投げかけています。
 女はそのたたずまいを不気味に思いながらも、本を老人の前にそっと置きました。
「くださいな」
老人の低く小さな声がします。
「4500ビブラです」
女は、老人が本の値段を暗記していることに驚きましたが、それ以上に、老人が口元を動かさずしゃべることに、もっと驚きました。女は言われるまま、ボロボロの1000ビブラ紙幣4枚と、手垢で黒く曇った1枚の500ビブラ銅貨をカウンターの上に差し出しました。すると老人は、それを手に取ることも数えることもなく、
「ありがとうございます」
とだけ、やはり口元を動かさずに言うのでした。

 女はさっさと本を持って帰ってもよかったのですが、この異様に気まずい空気に耐えられなくて、おもわず老人に話しかけました。
「珍しい本ですね」
老人はやはり口を動かさず言います。
「うちでつくっているからね」
「この家で作ってるんですか?」
「そうだよ。おくに“こうぼう”があるんだ」
“こうぼう”が“工房”だと分かるまで、この女は七秒かかりました。
「工房でおじいさんが作るの?」
「いや、つくるのは“しょくにん”だよ」
“しょくにん”は職人に違いありませんが、この店の奥に人がほんとうにいるのでしょうか。老人の後ろに一枚の扉があり、向こうに部屋があるようですが、そこから人の気配はまるで感じられません。ただ、女がよく耳を澄ますと、ときどきカチカチとかタンタンという、秋の虫が鳴いているような小さな音が漏れてくるのが聞こえました。
 女はなんだか気味悪くなって、本を手に取り、老人にお辞儀じぎをして帰ろうとしました。
「ありがとうございます。さよなら」
女が頭をあげると、おじいさんも、
「ほっほ。まいどあり」
と言って、お辞儀をしました。しかし、女はその姿を見て、心の中で悲鳴をあげました。
「ひっ!」
というのも、その老人のお辞儀というのがまるでおかしく、いちど頭を糸で引っ張りあげてから、またストンと落としたような、たいへん奇妙な動きだったからです。

 女は逃げるように店を出て、夜更けの木枯らしに吹かれながら考えました。
「あの老人は、人形ではないかしら?」
思い返せば、話し方といい動き方といい、とてもほんものの人間とは思えず、まるで誰かに操られていたようです。しかし、あの部屋には、他に人はいませんでした。自分と老人ふたりきりです。
 ただ、そういえばたしか、老人の頭の上に、木のはりが一本、カウンターに平行して渡してあり、あの上からならば、操り人形みたいに糸で老人の頭を動かせそうです。が、女はやはり首を横に振りました。いくらなんでも、あんなに細く狭い梁に、人が登れるはずがないのです。

 そう。あそこに登れるのは、小人くらいのものでしょう……

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つづく

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