好きな作品を語る⑤ シェストフ「哲学前夜」

 私の目の前にぼろぼろの書物がある。シェストフの「哲学前夜」だ。

 今、この本を読む人は極めて少ないだろうと思う。シェストフ自体が忘れ去られているし、「哲学前夜」というこの本は、もう中古でしか売っていない。

 人というのは時に、言葉に頼って生きるもので、言葉というただの概念、空中の雲のような曖昧なものをまるで極めてしっかりした、天国に繋がる一本の縄のようにたいそう大切に抱きしめる。私もまたそんな人間だ。

 正確に言えばシェストフ「哲学前夜」は私の好きな作品ではない。ただ、私は、シェストフが引用するトルストイの小説の一節に感銘を受けたので、それについて記したいと願っているだけだ。私にとってはシェストフが引用するトルストイに特に意味があるので、トルストイ単体よりもより大きな感銘を受けた。私にはシェストフとトルストイを切り離して考える事ができない。

 シェストフはトルストイを痛烈に批判している。彼のトルストイ批判は非常に厳しいのだが、憎愛溢れるものだ。シェストフはおそらくは、一時、トルストイを熱烈に愛し、徹底的に感化を受け、後にトルストイを見放して、離反したのだろう。そういう経験があるのだろう。シェストフのトルストイ批判は、憎愛入り乱れるもので、それ故に感情のうねりが伝わってくる。

 図式的に思想を説明するのであれば、シェストフは無神論者である。少なくとも、無神論者たらんとする人物だ。一方で、トルストイは神への信仰を持ちたくて仕方ない人物だった。しかし現実の彼の欲情、彼の理性が全てを裏切っていく。トルストイはあらゆる現実の断面を横切りつつ、精神の平安を得ようとしたが、それは眠ろうとして眠る瞬間を手に入れようとする如く、彼の手の先に留まった。トルストイはそんな状態のまま、死んだのである。

 信仰を欲するトルストイは、彼の精神によって世界を染めようとした。現実には様々な理不尽、暴力、悪が眠っており、それは自らの中にも存する。その中でトルストイは世界に対して「良し」と一言言いたかった。「時よ止まれ、お前は美しい」と、ファウスト博士のように言いたかった。それが彼の念願だった。

 「トルストイの分身とも言うべきピエールは、一つの世界を破壊しつくし、再びまた別の世界を創り出した。そして、彼は、その新しい、全く突如として、不思議に創り出された世界の中で生きはじめたのである。上に引用した『懺悔』の言葉から考え得るような、そんな家族だけしか、トルストイは持っていなかったというわけではあるまい。彼には人生の目的があった筈である。即ち、彼は自分の人生を意義づけられたものとして感じていた筈である。彼のまわりにあるすべてのものが、香りのよいスープや、軟らかく清らかな寝床に至るまで、彼には素晴らしいものに思えた。
 
 破壊された古い世界と同時に、嘗てピエールの生活を毒していた、あらゆる経験的な苦境もまた、打ちくだかれて消えてしまっていたのである。
 
 彼の妻エレンとは、彼にとって、他の幾千の苦労にも価するほどの女性であり、こまったことに、おそらくは、ピエールの新しい心境の調和を、全く破壊しつくすことだってできたかも知れないほどの女性であった。その彼の妻が、彼を捕虜として押さえ込み、且つ、さいなみつづけたフランス人たちと同じように、全く奇跡のような形で、彼の歩む道から、拭いとられてしまったのである。

 「ああなんて素晴らしいことだろう! なんと晴れやかなことだろう!」
 彼は独り言をいった。昔からの古い習慣によって、彼は自分に問いかけてみた。
 「ところで、それから先は? 私はどうしようか?」
 そして、彼は自分にこう答えた。
 「いや別に。私は生きて行こう。なんと晴れやかなことだろう。」」

 (シェストフ「破壊と創造の世界」 「哲学前夜」所収)

 現代に生きる多くの人間が心の底から「なんと晴れやかなことだろう」と言いたいに違いない。生きる意味の模索、といった面倒な問題が近代から現れた。人は神を失い、自分の進路を自分で決めなければならなくなった。

 今の大衆が、ある種、救われており、また永遠に救われもせず、天国に似た地獄で遊び続ける事。それについて私は何も言う事はできない。私もまた、彼らと同じ人間であり、彼らと同じように罪深い、と言えるのだろう。

 ただ、私は心の中で問うてきたはずだ。「ところで、それから先は? 私はどうしようか?」 それに対する解答はどこからも降ってこなかった。「汝」と呼びかける客体は私の心の中にどこにも存在しなかった。私はただ問うだけで、答える事ができない。

 それ故に、また、おそらくは私と同じような心理を経験してきたであろうシェストフという一人の男が、自らの心の苦悶に解決を見つけようとして、トルストイの御手にすがりついたというのが私には痛いほどよくわかるのである。シェストフもまた心の中で「ところで、それから先は? 私はどうしようか?」と問い続けてきたのだろう。

 さて、トルストイは解決を見つけた。「なんと晴れやかなことだろう」。上記、シェストフを引用した文章の続きは、以下のようになっている。

 「彼が以前に苦しみ抜いていた、その当のもの、彼が絶えず探し求めつづけていた、その当のものーー即ち、人生の目的は、今はもう、彼にとっては、存在していなかった。この探しつづけられた人生の目的は、彼にとって、人生のこの瞬間だけに偶然存在しなかったと言うようなものではなかった。むしろ、彼は、そんなものが無いこと、そんなものの有り得る筈がないことを、感じていたのであった。

 そして、目的などはないのだとする、この心が、自由と言う満ち足りた、楽しい意識を彼に与えていたのであった。そしてまた、そのことが、この時の彼の幸福を形成するものであった。

 彼は目的を持つことができなかった。何故ならば、今や彼は信仰を持っていたからである。」

 これはトルストイに関する正確な要約であろう。シェストフはドストエフスキーを批評しているよりも、トルストイを批評している時の方が優れているように私には感じられる。

 トルストイは答えを見つけた。ピエールは解決を手に入れた。ピエールは死の淵に立たされ、そこからの復活、信仰を手に入れ、人生の諸問題を解決してしまった。物語は終わる。一つの、長大な小説は幕を閉じる。後に、トルストイ自身が否定した小説は、あらゆる問題を解決して終わってしまう。

 トルストイのその後の人生を見れば、問題は何一つ解決されなかった事がわかる。シェストフもまた、トルストイに裏切られたと感じる経験があったのだろう。だからこそ、シェストフはトルストイを徹底的に批判した。

 さて、これらの解決の不在が何を意味するのか。あるいはこの自問自答「ところで、それから先は? 私はどうしようか?」に対する「いや別に。私は生きて行こう。なんと晴れやかなことだろう。」は、一体、何を意味するのか? …別に、何も意味しはしない。

 ただ、私は心の片隅でその言葉を思い出すのである。私にはどんな結論が降ってこないとしても。

 更に言えば、白痴的に問題を解決する事、つまり、愚かな人間がトルストイの抱えていた深刻な問題を解决してしまっているというような事態というのは、そう言いたければ、私の考えている事と同様、意味のない事だと私は思う。「馬鹿な方が人生楽しいからいいんですよ」と一度、本気で言われた事がある。しかし馬鹿は馬鹿でしかない。馬鹿が人生楽しいとしても、その楽しみは義人の苦しみと同じように意味がない。

 トルストイは最後まで苦しみ続けて、野垂れ死にに終わった人生だった。シェストフはトルストイを痛烈に批判したが、トルストイにどこまでも深く潜り込んだ存在だった。私はそれら、他者の生にどんな意味をも見つける事ができない。ただ、私は自らの心痛のある時に、彼らの存在が視界の内に浮かんでくるというだけだ。私はそのイメージを追って野垂れ死ぬのかもしれないが、この死(生)にはほとんど何の意味もないだろう。

 もともと、生きる意味などといったものが必要になったのは、封建社会において作られた垂直的な倫理が無効になった為ではないかと思う。明治維新を調べていると、維新志士は生きる意味に悩んでなどいない。彼らは自分の中の熾烈な倫理に向かって生き、生きる時には生き、死ぬべき時には死んだ。

 その透明で垂直な倫理が我々の中から失われた時、即ち良心という名の神の声が我々から失われた時、我々は自己意識という倫理の代替物を自らの中に抱えて、自問自答を始めざるを得なかった。自分に対して、自分の生きる意味を考えざるを得なくなった。

 「ところで、それから先は? 私はどうしようか?」
 「いや別に。私は生きて行こう。なんと晴れやかなことだろう。」

 …しかし、私は問いのみを知って、答えの方を知らない。私は永遠にこの答えをはっきりと聞かないだろう。現実世界という名の狭き牢獄の中を、私は、永遠に幽鬼の如くさまよい続けるのだろう。



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