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亡霊

 夢の中では様々なものが鮮やかだった。ところが、それらが何なのか、目覚めてみると覚えていない。ただ鮮やかだったという印象しかない。

 色々な人が色々な事を言っている。ところが、それは私にはどうでもよかった。どうでもよかったんだ。私は、体を起こして歯を磨きに洗面台に向かった。

 歯を磨きながらテレビをつけてみた。テレビでは、さっき戦争が始まったとリポーターが興奮しつつ話していた。でしょうね、と私は思った。なんだかそんな気がしたもの。私は、口の中のものを吐き出す為に再び洗面台へ向かった。

 洗面台で鏡を覗き込むと、私の顔が映る。私ーーこの私。私は何度私を私と思っただろう。私がもし美人なら、人々の対応はなんと違っただろう。私が不細工だったら人々の対応はなんと違っただろう。

 結局、彼らは亡霊なのだ。私は無理にそう思い込もうとした。この21世紀の人間はみんな亡霊…みんな、何か勘違いしてうわ言を呟いているだけなのだ。私はリビングに戻って、テレビを消した。すると、部屋には静寂が戻ってきた。

 私は耳を澄ましてみた。遠くの、踏切が閉まる時の警報音。それから、誰かがくしゃみした声。猫の鳴き声。ピンポーンというベル音。それぐらい。

 どこからも砲声は聞こえなかった。戦争なんてやってないのだ。またマスコミは嘘をついているのだ。私はそう思おうとした。

 私は窓を開け、庭に出てみた。庭には、わずかに植物が生えている。名前もわからない、雑草に近い紫と黄色の花。私はそいつらが愛おしかった。私はそれらを見つめた。そいつらはそこに生きている。人間達の思惑も忘れて、そこに生きている。

 ふと目を逸らすと、肉の塊があった。肉? …よく見ると、猫の死骸だった。猫の死骸が土の上に横たわっていた。腹の辺りが二つに裂けて赤黒いものが中から覗いていた。私は…一瞬驚いたが、気を取り直すと、すぐに猫の埋葬の用意にかかった。どうして猫の死骸があるのか、わからない。嫌がらせなのかなんなのか。だけど私は弔いが私のやるべき事だと思ってすぐに準備にかかった。玄関からスコップを取ってきて、猫の死骸を埋葬し始めた。

 その日は、そんな事をしていたので会社に遅刻した。会社の人は別に怒らなかった。昼休み、会社の人に「戦争が起こったみたいだけど」と言ったら、戦争なんて誰も知らなかった。それで私は改めて戦争は嘘で、みんなも亡霊なんだと思った。私は亡霊達と一緒に仕事をした。退社の時の笑顔はみんな人間らしかった。だけどそれも一瞬だけの事だった。私は、笑顔を顔に貼り付けたまま会社を出た。建物を出ると勝手に笑顔が顔から外れていた。

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