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164.書籍発売後

早いもので、書籍を発売してから約一ヶ月が経過した。様々な方々に読んでいただき恐縮であり、感謝である。

私の中でこれまで制作と言えば音源だとか、あくまでバンドに付随するものだったが、今回は1人。バンドの曲作りの様にそれぞれの個性や感性が混ざり膨らむ様な相乗効果があるわけではなく、己の感性と閃きだけでなんとかするしかない、良いも悪いも全て1人で背負う作業。

それが故に自由であり、選択肢が多過ぎるが故の不自由もあったが、これはこれで思っていたより悪いものでもなかった。いや、むしろ楽しかった。

私が本を出すにあたり、"どういった経緯で本を出したのか"を疑問を持つ人が多々見受けられた。

そういった疑問には『noteの掲載数が増えたからそれを形にしようと思った』的な事を言ったりしたが、人によっては理解してもらえたものの、人によっては納得出来る答えではなかったようで『いや、なんで掲載数が増えた=書籍出版になるのか』と言われた。

私は『?』となったが、さらに付け加えられた『文章が溜まったからといって、それを書籍にしようなんて普通考えないでしょ』という言葉を聞いた時に『(ああなるほど)』と妙に納得をした。

というのは、あくまで私の中のバックボーンにはバンドがあり、曲が溜まったら音源化という流れが私の中の普通だったのだが、その媒体が書籍になろうとも、文章が溜まったから書籍化という発想が心のどこかにあったのだ。

だから周囲に前例は無くともそこに着手する事自体、比較的自然な流れだったのだと思う。なのでそういった文化が無い人にとっては文書が溜まったからといって、それを書籍化するという発想につながらなかったのだと理解した。

それを裏付ける様にそういった疑問はバンドだとか制作とか何かを発信するとか、普段からそういったことに馴染みの無い人達から寄せられたものだった。

それが良いとか悪いとか正しいとか正しくないとかではなく、"どういった経緯で?"という同じ様な疑問でも馴染みの無い人からは《どうして書物を出す発想になったのか》という意味で、馴染みのある人からは《制作に至った意気込みや工程がどういったものか》という意味の疑問という、人によって質問の前提が異なる事象が面白いなと感じた。まあ当たり前っちゃ当たり前なのだが。


文庫化を決めたのは昨年の秋の事。それから年末にかけて作業を進め、目標にしていた2023年内での販売に漕ぎつけることができたのだが、それからの発送の日々、合間を縫って毎週のnote投稿用の文章の作成。慌ただしくも充実した時間を過ごした。

当初の予定的にこの本は、なんとなく1年くらいかけてゆっくり売っていければ良いかななどと考えていたのだが、お仲間の皆さんの協力もあり、予約だけで在庫の半分が無くなり、発売してからも順調に購入していただき、委託先の在庫は不明だが、今私の手元にあるのは残り数冊となっている。

買ってくれた方、読んでくれた方、委託を受け入れてくれた仲間達には本当に感謝である。文字や言葉だけだとこの気持ちが伝わりにくいのがもどかしいところだ。そんなもどかしさを感じる程、本当に感謝をしている。他にも知らない町の知らない方から注文をいただく事も多々あり、感謝の気持ちと同時に本という媒体の間口の広さを感じる次第である。

だが、読んでくれた方々のリアクションというか、感想だとか反応に関しては"よく分からない"というのが正直なところだ。

発売して購入していただく所までは見届けたものの、読み終えた人に会ったのは数人しかいなく、多少は反応を知れたが、作者を目の前に辛辣な意見を吐き出すような人もいないと思うので実際の反応は良くわからない。

とはいえ例え褒められても貶(けな)されてもその意見に寄せるような事はできないし、私が書きたい様にしか書けないのでどうにもできないのだが、どう感じたのか多少気になる所ではある。

そんな中、本を手に入れた人の中に想定外の行動をしている方々の報告があった。

・奥さんが子供(小学生低学年)に寝る前に読み聞かせている
→完全に想定外である。使い方は自由だし、好きに扱ってくれて構わないのだが、情操教育上、幼い子に知識、教養を与えるには題材を間違えている気がするのだ。いや有難い事ではあるし、親子のコミニュケーションツールとしてお役に立っているのであれば幸いなのだが、1ミリも想像した事のない使い方だった。

・娘さん(小学生高学年)が辞書片手に難しい漢字を解読しながら本を読んでいる
→自主性の芽生えるお年頃なので、親に押し付けられたわけでもなく、自発的に私の本を手に取ってくれたのだろう。それは嬉しいが、そんな労力を使うならもっと他の本があったように思うし、あの内容を辞書片手に読み解いた所で大した事は書いてないので、なんかごめんと、勝手に多少の罪悪感を感じている。

・1人で5冊買ってくれた猛者がいる
→どんな方が買ってくれたのか分からないが、これはシンプルに"何故"という言葉が湧いてくる。いやそれはもう感謝の言葉しか出てこないのだが、あまりに想定外過ぎた。どうやったらその恩を返せるのかすら考えてしまう。チークダンスでも踊って感謝の思いを表現するしかないのだろうか(チークダンスが何なのかよく分かってないが)。

想像もしなかった事ばかりだ。それにまさか子供に読まれる事になるとは思ってもいなかった。ほんとにいざ出してみないと分からない事が多くあり、初めて出くわす事象や感覚がたくさんある。色んな人のおかげで楽しい体験が出来ている。

何度も伝えているが、改めて感謝である。ありがとう。

おわり

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