見出し画像

160.衝動買い

コロナ禍以降、自炊を覚えた私は定期的にスーパーに通っている。最近の私の日常風景である。

この日もスーパーに入ると、いつも通り色んな人々が店内を往来していた。カートを押す親子、ニコニコしながら歩く老夫婦、真顔で淡々と買い物をこなす主婦。様々な人々が集うその様子は生活や営みの縮図の様にも見える。嫌いでは無い光景だ。

私はそんな人間模様を眺めながら淡々と商品を買い物カゴに入れて歩く。

一通り欲しい物を手に入れたのでレジに向かったが、その途中、じゃがいもを入手していない事に気付いた。生鮮食品コーナーに行くと、バラ売りの玉ねぎ、人参、じゃがいもが山積みになっているのが見える。そこで私はじゃがいもをナイロン袋に入れ買い物カゴに入れた。これで任務は終了。

だが、足が止まった。じゃがいもは手に入れた。もう用は無い。なのに足が進まない。

そこにいる理由など無いはずなのに、その場から離れず佇(たたず)む私がいた。

『(・・・・・・)』

一点を見つめ立ち尽くした後、思った。

『(・・・なんか・・人参デカくねえか?)』

目を疑う程、見た事もないサイズの人参が山積みになっている。

いわゆる一般的な人参のサイズというのは長さが15センチ、太さは野球のバット(持ち手部分)程度だと思う。いつもはそんな人参が陳列してある。

だが、この日の人参は、なんかもうそういった次元では無い。太さは350缶くらいあるのではないだろうか。長さは20センチをゆうに超えていると思われる。そんなサイズの人参が山積みにされている。

何だろうかこの気持ちは。その出立ちを見ていると

『(ちょっと怖い)』

そんな事すら思ってしまう。例えば本来1〜2mサイズの熊が5mのデカさだったらより強い恐怖を覚えると思うが、なんかそれに近い感覚。脅威を感じる。

実は人参のそっくりさんなのではと思い、商品名を確認したが明らかに"にんじん"と宣言されている。それでも釈然としなく、疑惑は晴れない。

この時のこの感情をうまく伝えられるか分からないが、例えば先ほど手に入れたじゃがいもを例にすると『こちら、じゃがいもさんです』と紹介されたら『ああ、これはこれは。いつもお世話になっております』と答えられると思う。

ただ、この人参に関しては『こちら、人参さんです』と言われたら『ああ、これはこれは。いつもお世話になっており・・・ます?』と疑問に感じてしまう。嘘をつくなと、何を人参ぶっているのだと。そういう気持ちだ。

思わず店員に《すいません。私は陰毛がしっかり生えた大人なのである程度、文字は読めます。ここににんじんと買いてあるのは分かるのですが、これは何ですか?》そう尋ねたくなったが、それを尋ねた所で、店側が"にんじん"と打ち出しているのだ。覆る事は無いだろう。覆ったとしても"じゃあこれは何だ"となってしまう。それはそれで怖い。

私はその人参を興味本位で手に取った。なにか禁断の物を手にした気持ちである。
そして特に買う予定も無い人参をそのまま買い物カゴに入れてしまった。何故そんな事をしたのか自分でも不思議だった。完全に好奇心という名の衝動が私を動かしていたのだろう。

カゴの中で揺られる巨大な人参。ビール缶と隣り合い、負けず劣らずの存在感を発揮している。

この時、私はレジに向かいながら偶然友人や知人に遭遇しないかを危惧していた。今は出来れば誰にも会いたくない。仮に会ってしまったとして、その友人が別の友人と会話した際に

【この前、あいつスーパーでデッカい人参買ってたよ】

とか言われたくない。

私は忍びの如く気配を消してレジへ辿り着いた。店員が巨大な人参を手に取り、会計を進める。その時店員がバーコードを読み取りながら『人参一点』と声を上げた。

『(な!?何を声に出している。やめてくれ)』

【おい見てみろよ。あいつデッカい人参買ってるぜ】と言われたらどうするのだ。逆に店員はこの人参を見て何も思わないのだろうか。もっとしっかり自覚を持って欲しい。

私はせかせかと、祈る様な気持ちで店員のレジを待ち、そさくさと会計を済ませ、寄り道する事なく帰宅した。

帰宅後、自宅のテーブルの上に人参を置き、マジマジと眺めてみる。

目が慣れたのかもうこいつに脅威は感じない。つい好奇心の勢いで買ってきてしまったが、観察以外に特にやる事も無いので、手に取って色んな角度から眺めてみたり、350缶と並べてみたり、上に向かって投げてみる。そしてテーブルの上で人参をゴロゴロ転がしながら

『(・・・眺めたり、転がしたり・・やっている事はゴリラと変わらんな・・)』

『(・・・ゴリラが初めて玩具を与えられた時ってこんな気持ちなのかな・・)』

『(・・・いや、あいつらに人参渡したら食べちゃうかな・・)』

『(・・・というか、ゴリラって人参食うのかな?・・)』

人参片手に【ゴリラ 人参】で検索をかけた所、一番上のページに"ゴリラが人参をくわえるとダンディー感倍増"という記事が出てきたが、すこぶるどうでも良いのですぐ携帯を閉じた。

『(・・・・・・)』

再び無の時間が流れる。

薄々勘付いていたのだが、私は帰宅し、テーブルの上に置いた時点で既に人参に飽きていた。手に入れた途端、興味がなくなるという人間の悪癖である。

結局、この子の本来の使命を全うすべく調理を施し、我が血肉になっていただいた。疑惑は晴れていないが、食べた感じは人参だった。

後日、たまたま寄った別スーパーで人参を見かけた時、その店にも巨大な人参が置いてあった。だがもうあの頃の自分とは違う。

背中で人参の存在を感じながら私は前に進んだ。もう立ち尽くさない、振り返らない。そこには次のステージに進んだ私がいた。

おわり

ちなみにこれ。


ていうか、別のスーパーにも売ってるってどういう事だ。流行ってんのか。大丈夫か福島市。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?