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159.中年

昨年、ついに私は40代に突入した。ザ・中年である。

この国の男性の平均寿命は81.05歳(ちなみに女性は87.09歳)らしいので、気付けばほぼ人生の折り返し地点に立っているという事になる。そんな年齢に差し掛かったが今の所、相変わらず私は健康体。元気そのものだ。

思い返すと20代の頃、痩せている私に対して"30代になったら嫌でも太る"という予言を数々の小太りの大人達が唱えていたが、30代に入ると私は太るどころか逆に痩せてしまった。

30代後半に入り、私が太らない事実に直面した小太りの予言者達は"太らなくても腹は出る"という苦し紛れの予言を追加してきたが今の所、腹も出ずにいる。そして今の所"40代になったら太る"という新たな予言を掲示している。

時折現れるあの予言一味は一体何なのだろうか。

私としては別に太っても良いのだが、仮にこれから私が太ったとしても"ほらね、言った通りでしょ"とかは言わないでほしい。過去に10年スパンの予言を外しているのだ。わきまえてほしい。言っている事は"年齢を重ねると白髪が生えるよ"程度の事と変わらんのだから。

病気や体調に関してもそうである。睡眠時間が少なく、酒、タバコを嗜み、食べたいタイミングで食べたいだけメシを食べていた20代の私(今も変わらんが)。そんな事をしているとどこからともなく小太りの予言者は舞い降り、例の如く半笑いで予言を唱えてくるのだ。

"30代になったら病気になるよ"と。なんと軽々しく不吉な事を言ってくるのだろうかと思った。

では実際の私はどうだっただろうか。残念ながら最後に熱を出したのは32,33才の頃。30代はその一度きり。なんなら1日だけだ。それ以降、何の病気にもなっていない。風邪もひいていない。健康診断は毎回良好。しいて言えば、数年前に遊び過ぎて過労になり1週間だけ片耳が難聴になったくらいだろうか。

全ての予言を掻い潜り、私は現在も元気ハツラツである。これから先の未来も前途洋洋(ぜんとようよう)の気配を感じている。だが折り返し地点に立った以上、この身は今のままではいられず刻々と老いが訪れるのだろう。

既に髪やヒゲは白髪が混じっている。外的な変化ならまだ良いが、身をもって変化を感じるのは記憶力である。元々、人の名前を覚えられない方ではあるが、さらにそれは加速している。ライブハウスで声を掛けられ、知ったかぶりをした事は一度や二度ではない。

先日も同年代の3人で一緒にいた所、ものすごく見た事のある人に声を掛けられたが思い出せず、全員で話しているうちに思い出すだろうと適当に話を合わせていたが結局分からず。その方が去った後に一緒にいた仲間に"あれは誰?"と伺った所、全員が分からないという事態になった事もあった。中年恐るべしである。

人の名前だけに留まらず、日々の暮らしにも多少の影響が及んでいる。

例えば家のトイレットペーパーのストックが無くなり、出掛けたついでに買おうと考えるのだが、その事を忘れ何事も無かったかのように帰宅する。そして家に着いた頃ハッと思い出すのだ。

そんな事が続くので、今度は大事な事を忘れないように携帯のメモに書き留めるようにしているのだが、携帯のメモを見る事を忘れ何事も無かったように帰宅する事も多々ある。

まだある。例えば車に乗り、いざ出発のタイミングで携帯を家に忘れた事に気付く。"ああ、取りに戻らなくては"と家に戻り、家の中を歩いている時に脱ぎっぱなしの服が気になり、服をたたむ、更に飲みかけのコップを見つけ、ついでにそのコップを洗う。そして洗い終えた時に思うのだ。

『(・・・はて・・家に何を取りに来たんだっけ・・)』

忘れ物が何だったのかを忘れるという二重構造。リビングで腕を組み、仁王立ちで目を瞑りながら記憶の奪還を開始する。

しかし思い出せず。《"何を忘れたかを思い出せない"という事は、そこまで大事な事でもなかったのだろう》と己を納得させ、車に戻る。そして、車に戻り出発のタイミングでハッとするのだ。

『(だあああもう!携帯だ!クソが!)』

小走りで再び家に戻るなんて事もある。

不便だが、良くも悪くもこれも人生における変化。ある種のエッセンスとも言える。別に深刻な事態でもないので、工夫次第でなんとかなる事だし、そんな自分を楽しみながら新しい日々を生活していければ良いと思っている。

一先(ひとま)ず辿り着いた40歳。ここまでなんだかんだあったが、だいぶ楽しく、幸せにやってこれた。そして折り返した残り40年(60年や70年もあり得るが)。これからもこれまでと同様、もしくはそれ以上に素晴らしい日々が待っているのだろう。そう思うと楽しみしかない。

年老いる事への抵抗がある人もいるだろう。"ジジイになってまで"なんて言葉を吐き出す人もいるだろう。それはそれで良いが、若い頃でしか充実感を得られないと思っているのだろうか。

であれば、世論や周りの言葉に左右され過ぎである。今まで私が感じてきた様に、その時その年齢でしか味わえない楽しさが必ずある。全ては自分次第なのだ。自分の幸せは自分が決めるだけである。

おわり

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