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122.正装という文化

1年ぶりくらいにスーツを着た。

さすがにスーツを着る機会が少ないとはいえ、この歳になればネクタイくらい結ぶ事が出来る。だが結んでみて思った。

『(ちゃんと結べてるけど、間違ってないよな?)』

一応、ネットで調べてみたところ正しい結び方が書いてあった。間違えてはいない。

私は上着を羽織り、ボタンを締めて鏡の前に立った。だいぶスタイリッシュな装いになっている。これがスーツの力なのだろう。私は全身の確認を終え一度ソファに腰を下ろした。

しばらく他にやることも無く、スーツ姿で無の時間を過ごす。

『(・・・・・)』

そしてこう思った。

『(・・・で、結局・・君は何者なの?)

そうネクタイに問い掛けた。スーツ姿を鏡で見た時に違和感を感じたのだ。ざっくり言うとスーツとは衣類だ。だが、どう考えてもネクタイだけは衣類としての役割を果たしていない様に思う。例えば、シャツやジャケット。これが無かったら上半身裸で過ごす事になる。その姿は犯罪ギリギリである。そしてズボン。これが無かったら下半身裸になる。これは完全なる犯罪である。
双方共に衣類としての役割を果たし、防寒にもなっている。だがどうだ。ネクタイだけ異なる立ち位置ではないか。それが無くとも成立してしまうのだ。そう考えると"何故これを装着せねばならぬのか"という一抹の疑問が脳内を駆け巡る。

正装という観点で考えると必要なアイテムというのも理解はしているが、よく考えてほしい。どこの誰が決めたのかは分からないが、不思議な形をした布を首に巻いてそれを【正装】と言われても『はあ』としか言いようがない。しかもその布には何やら"正しい結び方"なるものがあると言う。そんなよく分からない位置付けの布きれに正しい結び方もへったくれもないだろう。なんならその布を首に付けずに外に出ると、シチュエーションによっては"マナー違反"言われ、場合によっては怒られる。場所によってはクールビズがなんちゃらで"スタッフはネクタイをしていません"と予め通達をし、怒りの矛先を向けられない様にしている。その辺のヒモを首に装着してもダメなのだ。あの形の布じゃないと許されない。実に不思議である。

そんな事を視界に映るネクタイを見つめながら思う。

じゃあそれを思った所で何が変わるのかといえば基本的に受け入れるしかないとは思う。他の事でも伝統、文化と言われれば『そうですか』と飲み込まざるを得ない部分が多くある。

こうやって"そもそも"の事をを考えてしまう私の感覚もいかがなものかと思うし、そんな事を考えてどうするのかと言われる事が多々あるのだが、何も考えず何でもかんでも受け入れるだけというのも、それはそれで良いのだろうかと思う昨今である。

おわり

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