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172.精密検査 〜序章〜

2024年3月上旬からここまで約1ヶ月間の出来事について。

少し長い話です。

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健康である。

ここで何度もお伝えしている通り、すこぶる健康だ。この10年で言えば30代前半に1度、1日だけ熱を出したがそれ以降は何も無い。なんなら風邪もひいていない。

2日酔いも人生で数回しかなった事がない。食っても太らない。視力が悪いのとお腹が弱い事を除けばほぼ無敵のボディを有している。これには歳を重ねるごとに親に感謝している。

もちろん毎年の健康診断もノーマーク。

どうせ大丈夫なので診断結果が届いても中身を開けずに放置し、数ヶ月後くらいに思い出して見る事もある。

健診と言えば事前に用意する物がある。検尿、検便だ。検尿は言わば、せせらぐ湧き水をすくう程度の作業なので無心で行える。

だが、やはり検便は多少難がある。微量ではあるが自分の便を己で削らなければならないのだ。何か一つ間違えれば手に付着してしまうかもしれないリスクや臭いとの格闘もある、まあまあのサバイバル。なんなら2日分用意しろと書かれているので2回もその作業を行う。

今年もそんな作業を経て、健診を受けた。

それから1ヶ月も経たない内に大きな封筒で結果が届いたものの、いつも通り"そのうち見るか"程度のテンションで放置しようとした。だが、少し異変に気付く。

『(・・・なんか・・いつもより重い気がするな・・)』

封筒にいつもと異なる重量を感じた。なんとなく気掛かりになり封筒を開ける。

そこにはいつも通りの診断結果の書面。いつも通り"異常無し"の羅列。裏のページも見るとそこにもいつも通り"異常無し"の羅列がある。通信簿で言うならオールAである。

『(・・・???・・』

そして封筒の中に他にも書類が入っている事に気付いた。恐らくこれが重量を感じた理由である。それを取り出して眺めるとそこには身に覚えのない資料がある。

《再検査用の書類》

こんなものが入っていた。

『(・・・何これ?・・)』

異常など無いのに何故、再検査の紙が私の封筒の中にあるのだろうか。沢山の疑問符が頭の中で溢れる。

念の為、もう一度診断結果を眺めてみた。そこにはいつも通り"異常無し"の羅列。裏のページもいつも通り"異常無し"の羅列が書かれている。

はずだった。

よく見ると1番最後の項目がいつもと違う事に気付いた。見落としていた。

【要精密検査】

そう書かれていた。少し驚きつつ、そこに書いてあった説明文や添付されていた資料をしっかり読み解いた。要約すると

【お前の提出した便が陽性の反応を示している。大腸ガンの疑いがあるので精密検査をしろ】

こういう事が書かれていた。

まあ何と言うのだろうか。腹の底というか、心の裏側というか、あまり身に覚えのない領域から冷たい様な、はたまた熱い様な何かがゾクゾクゾクと心の中心に忍び寄って来るのが分かった。それが心を覆った頃に理解した。これは《恐怖》なのだと。

少しばかり額に汗も出てきている。普段あまり感情を露わにしないが、確実に動揺という感情が全身を包んでいる。

今、自分の身体に何が起きているのだろうか。体感的に何も感じるものは無い。いつも通りすこぶる体調は良好。自分ではそう感じているが、こういうものなのだろうか。

しばらくの間、私は色んな事を考えた。あくまで疑惑、取り越し苦労だとか、私がそんな事になるはずが無いという根拠の無い事だとか。最高の展開から最悪の結末までが脳裏をよぎる。

確かここでは言っていなかったと思うが、私は少し前に結婚をしている。万が一残されるかもしれない家族や大切な友人など様々な人の顔を思い浮かべながら、色んなシチュエーションを思い描いた。

一通り思いを巡らせた後、一旦冷静になる。

『(・・・さて、検査どうしようか)』

あまりに唐突過ぎて全く気乗りがしない。この時点で3月上旬。もしかしたら手遅れなのかもしれないし、無意味かもしれないが、どうせ検査するならその時に体を万全の状態に持っていきたい。そして少しずつ覚悟を固める時間も必要だ。そんな事を考え、4月末もしくは5月くらいに受ければ良いだろうと考えた。

あとは誰に伝えるか。まず親には言わない。半信半疑な状況の中、親にわざわざ不安を与える言葉を言う必要は無い。

嫁はどうしようか。まあ言った時の場面が容易に想像できる。確実に動揺して結果が出る日まで不安定な心で過ごす事になるだろう。なので検査の数日前に言おう。

友人達にはどうしようか。これも疑惑の段階でわざわざ連絡して伝える必要もないだろう。連絡が来たり、面と向かって会った時に言えるタイミングがあれば伝えよう。

こうして身体と心に向き合う日々が始まった。

まずは食事。腸に良い食事はなんとなく分かる。嫁さんがアレルギーを持っているので少し勉強した事があったのだが、嫁さんのアレルギーと腸に関連性があるらしく、私がメシを作る時は腸に良いご飯を作っていた。人体実験と称して食べてもらっていたのだが、改善が見られたのでその知識を活用し強化したものを己に与えれば良い。

そして酒は飲まない。酒も腸に良くない。ただ、3月末に前々から行きたいライブがあったのでその日だけは例外にし、それ以外は断酒。まあ元々1週間に週末の2回しか飲んでなかったのでそこまでの苦行ではない。

生活習慣を整理する事はそこまで苦痛ではなかった。淡々と日々やる事をやるという事は割と容易に出来るので問題は無かったが、どちらかというと精神的にキツいものがあった。

"なるようになるっしょ"というスッとした心持ちをしていたと思えば、突如漠然とした不安がのし掛かる時もある。私が生きてきた理由や人生の意味などという大袈裟な事も含め、色んな言葉が心の中で飛び交った。

寝ても覚めても何かを悶々と考える日々。それが約1週間続いたある日、私は思った。

『(・・・しんどいな・・)』

こんなメンタルで日々を過ごすくらいならさっさと検査した方が良い。もしかしたら大丈夫かもしれないし、万が一良くない結果の時はその時に苦しめば良い。

そう思い立ったのは3月16日。土曜の昼間。思いつくままに検査可能な大きな病院に電話を掛けたが、そのほとんどが『土曜の予約は無理だから週明けに電話してこいや』と言ってくる。

仕方がないので検査可能な胃腸科のクリニック的な場所を探した所、たまたま家から徒歩で行ける距離に対応してくれそうな病院があった。

早速電話をかけた所、今まで電話した病院は会話のトーンにどこか業務感があったのだが、そこは電話対応の中に寄り添う感が出ていた。

事の顛末を伝えると、予約が混み合っていて2週間後になるが検査は可能だという。既にこの病院に好感を持っていたので私は話を進めた。そして

検査前の問診が6日後、3月22日の金曜日

検査日は約2週間後の4月1日

に決定した。

つづく

※長めの話なのでまだ書き終えていません。とりあえずここまで。申し訳ない。

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