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166.ジェームスと呼ばれた男

凍えるような冬の合間に訪れた小春日和の日、私は街で酒を飲んでいた。

イベントに遊びに行った時に酒は飲んでいるものの、ただの酒飲みは久々だったのでゆったりと飲み、程よい酔い加減で1人帰路に着くことにした。だがタクシーをつかまえようとしたが見当たらなく、それを探して右往左往するというのも気が乗らなかったので久々に歩いて帰ることにした。

暖かい日が続いているがそんな事を感じさせない程、夜はしっかりと寒い。呼吸を繰り返す度に鼻先が冷たくなっていくのが分かる。私はフードを被り、ネックウォーマーで鼻から首までを包み一歩一歩足を進ませた。

街中の喧騒を抜けるとそこは夜闇の中。その中にポツリポツリと街灯が散りばめられ、街路樹や建物を照らしている。通りすがる車のライトがそれを手助け、私の帰路の道筋を示している。

この時間のこの景色の中で足音と呼吸の音を聞いていると、以前この様なシチュエーションでたんこぶを作りながら帰った日の事を思い出し気を引き締めた。とはいえあの時は夏。元凶は眠気だったが、さすがに冬は眠気などは無い。というか寝たら死ぬ。

様々な思考を頭に巡らせながら、私は『(次の投稿は何書こうかな)』などと題目を探し、頭の中で文章を作り始めた。だが普段ならそこから少しばかりは構築出来るのだが全くまとまらない。酔いと寒さがそうはさせてくれなかった。試行錯誤したが埒(らち)が開かないので早々に諦め、周りの景色を眺めながら歩くことにした。

何度かここに書いたが、私は夜の建物を眺めるのが好きだ。家の灯りは人の営みを想像する事が出来る。全く見知らぬ家の灯りを見ては『(ここでも生活が育まれているんだなあ)』とノスタルジーを感じてしまう。実際のその家の内部事情は知らないが勝手に『(平和だなあ)』と、朗らかな気持ちにすらなる。そして歩く事によって視点が変わり、見慣れたはずの街並みも初めて見る様な景色に変わる。

そんな心持ちで歩いていると、ふと見慣れない景色に遭遇した。【神社】である。家が一棟入るほどの敷地。この道は昔から数えきれないくらい通ってきた道なのだが見覚えが無い。『(こんなとこにこんなのあったっけ?)』などと不思議な気持ちになる。

この国において神社というのは約15万ヶ所存在していると言われ、コンビニの約3倍の数を有しているそうだ。そう考えると《そんな事もあるのかな》と横目でその神社を見ながら通り過ぎた。恐らく普段だったら立ち止まって眺めていたと思うが、寒いのでそれどころではない。

こうやって幾つかの発見をしながら歩く。たまに歩くのも悪くないと感じながら歩き続けると再び気になる建物が現れた。

ここを通る度いつも目を引かれていた場所だ。ピンクを基調とした外観と装飾、そして看板。そこはカラオケスナック的な場所。"的な"というのは実際何の店か不明なのだ。看板に【カラオケ〇〇】とだけ書かれた教室の半分程度のサイズの建物。

何が気になっているのかというと、そこに出入りしている方々である。この店のママと思われる濃い目の化粧の年配女性を筆頭に、高齢の男女が集っているのをここを通る度に見かけていた。

その中でも目を引くのは1人の年配男性。

・年齢は60-70歳
・160センチくらい
・縮れた長めの髪
・Yシャツ
・フロントを紐で結ぶタイプのベスト
・パンツはブーツカット
・ティアドロップのサングラス。

私は怪しさ溢れる不思議な出立ちのこの男をなんとなく【ジェームスブラウン】と心の中で命名し、店の前を通る度に注視していた。

ジェームスを見かけるのはいつも店の外。夕方6時から7時頃にタバコを吸っている姿を時折見かける。何を考えているのか分からない風貌と出立ち。サングラスの奥の瞳は何を見つめているのだろうか。

そのジェームスの奥にそびえる、こちらの世界とあちらの世界を隔てる店の扉。何度かその中が見えた事があるが、その店内は所狭しとテーブルが並べられている。あんな密室空間であの濃いメンツで一体何が行われているのだろうか。

そして、仮に私があの入店したとしたらどうなるのだろうか。そんな事も思う。

いやそれはきっとカラオケなのだろうが、元々そこまでカラオケに興味がない私にとって、もし入店したら"カラオケ"と"得体の知れない年配者達との遭遇"という二重苦が待ち受けている事は確定している。好奇心程度の興味はあるが、興味本位で行くにはあまりにも高いハードル。少なくともシラフで出向くのは無理という結論をここを通る度に思っていた。

そして現在。時刻は深夜。店は既に電灯が消され営業時間は終わっている様子。誰もいない店を眺めながら私は思った。

"シラフでの入店は無理"そう考えていた。だが、今の私は酔っている。もし今、営業していたら?もし今、あのドアが開いていたら?私はこの店に入店出来るのだろうか。私は思わず足を止め、酔った頭でリアリティを持って想像した。

店内に入り席へ着き、ママやジェームス、年配の方々に囲まれる。その時私は一体何を話すのだろうか。そしてここはカラオケ屋。何か歌わねばならない。はたして何を歌うべきなのか。親から祖父母ほど離れた歳の差。世代が違すぎる。三橋美智也あたりを歌えば何か打ち解ける事も出来るのかも知れないが、私は三橋美智也の曲を知らない。というか、なぜ金を払って彼らに擦り寄る曲を選択せねばならぬのか。その逆も然りだ。彼らは私に何を話すのだろうか。そしてどんな曲を聞かせるのだろうか。

そんなあれやこれを色々考えたが割と早めに【断念】という言葉が脳に到達した。あまりにハードルが高すぎるのだ。

酒に酔うとは前頭葉を麻痺させる事。前頭葉を麻痺させるというのは理性という感覚を鈍くする事。今まさにその酔った状態だが、それでも行けないと脳が訴えている。

『(・・ああ、ここにくる事は無いのだなあ)』

そんな事を思いつつ、今私は帰宅中だった事を思い出した。

少し考え込んだ事で寒さを忘れていたが、漂う冷気の存在を思い出した。早く帰らねば。
私は体表をすり抜ける風の冷たさと、あの店に対する得体の知れぬ拒絶感を感じながらその場を後にした。

家に着くと、私はかじかんだ手でジェームスの店をネットで検索していた。あまりにも情報が少なかったのだが、分かった事は営業時間10時〜20時、年中無休、1日歌っても500円、持ち込み自由という、だいぶ攻めた設定で経営している店だった。高齢者の憩いの場になるのも頷ける内容だ。

しかも店主は92歳と書いてあるではないか。誰が店主か不明だが、今後も気心知れた仲間達と楽しく過ごして欲しい。そう思った。私は行かないけど。

おわり

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