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171.アイスを買いに行きました

冬場に時折訪れる、春めいた気候の日がある。
風は少し冷たいが陽が暖かいという、束の間の穏やかな時間。

寒さというのは生死に直結するせいか、ただ寒いというだけで無意識に背筋が伸び、多少の緊張感を持って生活している様に思う。そんな枷(かせ)が外れた暖かい陽気の日、私は車を運転していた。

時刻は昼過ぎ。暖かさはピークを迎えている。さらに昼食後という事も相まり、私の緊張感はゼロとなっていた。恐らく私の顔面の筋肉は緩み半笑い、目もさほど開かず、人様にお見せできない表情をしていたであろう。そしてお尻と背中にいつもより多めに体重を預け、ソファに座るが如く安らいだ体勢で車を進ませていた。

そんな状態を自分でも自覚しながら

『(・・・ああ・・暖かくなるとバカが出てくると言うが・・ちょっと分かるなあ)』

などと思いふけっていた。その流れそのままに私はこう思った。

『(・・・ああ・・なんとなく・・アイスが食べたいわあ・・)』

ゆるゆるの気持ちの中からゆるゆるの発想が出てくる。どうしても食べたい訳では無く、気候的に気分が良くなった上での発想。春の陽気に包まれてアイスを食べるという事実に浸りたかっただけである。

そんな折、タイミングよくスーパーが現れた。

『(・・・さくっと買って・・・家で食べよう)』

私はハンドルを切り、スーパーの敷地へ入った。車を降りて、ぬくぬくとした陽気の中をゆったりと歩く。思わずナマケモノを連想するほど、動作の一つ一つがスローリーである。

陳列されたアイスを眺める。何も悩む事は無い。私の中では買うアイスは決まっている。アイス界のフェラーリ、アイス界のギブソン、アイス界の中トロこと、キングオブアイス【ハーゲンダッツ】である。買う時はいつもこれである。

それを2つ手に取り、キングオブアイスの冷感を手に感じながらレジへ向かう。だがレジが混んでいて行列が出来ていた。私は行列に並び、ただひたすら待ち続ける。

しばらくするとアイスの冷たさに手が限界を迎えたので、手の平にアイスを置いた。ウェイターがお盆を持つかの如く肘を曲げ、手を胸辺りの高さまで持ってくる。そしてただその時を待つ。

『(・・・・・・)』

目の前を見ると子連れの親子が並んでいた。5歳程度の兄妹だろうか。特に男の子の方が落ち着かず、母親の周りではしゃぎ、声を発しながらウロウロしている。こういう小さい親子がいる時、私が心掛けている事がある。

朗(ほが)らかな顔つきでその場に佇むのだ。

幼子とは何をしだすか分からない。突然奇声を出す事もあるだろう、大声を出す事もあるだろう。暴れて私にぶつかる事もあるかもしれないが、そんな事があっても私は一切何も思わない。元気があるのは結構な事だ。

だが親は違う。子供がそんな事をしたら子供に怒り、周りの人々に謝りすらする。それが些細な事でもだ。そんな時、怒った様な顔つきや不機嫌そうな顔で近くに立っていたら気を使わせてしまうかもしれない。なので事前に仏感を出す表情をしているのだ。

という事で半笑いとも言える表情でウェイターの様な立ち姿をしてレジを待っていた。

だが、ふとある事に気付いた。目の前の兄妹もアイスを持っていたのだ。しかもそれはキングオブアイス【ハーゲンダッツ】である。私は朗らかな顔をしながらこう思った。

『(・・・お前、良いもん持ってんじゃねえか)』

ただハーゲンダッツとは大人の証。子供に手を出せる代物では無い。そういう認識でいる。かくいう私も元子供。この子くらいの時があった。

その頃といえば冷凍庫に常備されているアイスが常。膝で割り、兄と分け合った通称ポッキンアイス。1人1個のアイスなど買ってもらえたらイベントと同等。ましてやハーゲンダッツなど買ってもらった記憶が無い。

『(・・・別に構わん。構わんのだが・・なんとなく・・ガリガリくんにしてくんねえかな)』

私はポッキンアイスに始まり、小→中→高と段階を踏み、大人になり自由に物を買える様になったのだ。それをまだ幼いこの子がキングオブアイスを既に手にしている。齢5歳程度でハーゲンダッツを手に持つこの子と己の体験と重ね合わせ、理不尽な思いを抱く。そして思わず

『(果たしてそれは本当に貴様の物だと言えるかな?)』

心の声が出る。

この子達の手にハーゲンダッツがあるのは事実。変わらない現実。だがどうだろうか、この子が手に入れたアイスは親の金で払われる物だ。所有権の比率で言えば8:2が妥当だろう。もちろん、親が8だ。

『(見たまえ子供達。この私の手に置かれたアイス達を。これは私のアイス。10:0のアイスだ)』

朗らか且つニヒルな表情で子供達を見つめる。きっとこの子達が粗相をすれば親が取り上げる事もあるだろう。2の所有率とはそんな物である。

だがこれは私の物。布団の上で寝転がりながら食べても何も言われないし、素っ裸で踊りながら食べても誰にも取り上げられない。これは紛れなき10の証。己で稼いだ金でこしらえる10の華やかさ。

貴様のそれとは少し違う。そんな思いを乗せ、どうだと言わんばかりのオーラをできるだけ放った。

が、子供達は我関せず。肩透かし的な感情が心を包む。

『(・・・・・・)』

だが、私はある事を閃き、自分の後ろを確認した。私の後ろに並んでいる人はいない。それを確認すると私はその場を離れた。

《こうなったらもう一個アイスを追加して大人の威厳を示す必要がある》そう考えた。物量で勝負。

これには少しばかりの嘆きや《ナメられる訳にはいかない》という思いもあったかもしれないが、一方で大人の嗜みというか、《大人って良いもんだぜ》というメッセージも込めている。

いそいそと早足でアイスコーナーへ行き、もう一つアイスを追加すると足早にレジへ向かった。だがそこには予想だにしない光景が広がっていた。

『(・・・すげえ増えてるじゃねえか・・)』

さっきより行列が伸びている。子供達は間もなくレジへ到達しようとしていた。仕方無く最後尾に並び、再びウェイタースタイルで待機する。

『(・・・・・・)』

なかなか動かない行列。私はアイスの冷気を感じながら途方もない時間を過ごす。しばらくすると子連れの親子はレジを済ませ帰って行った。目の前にはまだ行列が続いている。それを見ながら思った。

『(・・・私は一体・・・何をしているのだろうか・・・)』

気分でアイスを買いに寄り、さくっと買って帰るはずだった。そこで行列に巻き込まれた。それだけならまだしも子供が手にしたアイスを見て躍起になり、その場を離れた挙げ句、更に深い行列に飲み込まれている。

別に人の家の子が何を食べてもいいじゃないか。まして私のアイスを1個追加したから何だというのか。私の時代はこうだったのだから、今の子もそうしろという結構嫌なタイプの大人の発想で何をしているのだろうか。ていうか大人の威厳てなんだ?さっきからお前は何を言っているんだ。と自分を戒める言葉が出てくる。

早く帰る事も出来ず、子供達にメッセージを届ける事も出来ず、何故か3つものアイスを手に持ち、私はただただウェイタースタイルでその場に佇む。

『(・・・二兎を追うものは一兎をも得ずとは・・・こういうことを言うのだろうか・・)』

少し落語的の様な、戒め的なこの出来事を客観的に振り返る。

『(・・・よく分からんが・・この話に勝者がいるとしたら誰なんだろうか・・)』

『(・・・私は負けた・・それは認める・・・完敗とも言える・・・じゃあ、あの親子は?)』

『(・・・いや、あの親子は勝ちも負けもしていないよな・・)』

『(・・・ああ・・勝者はスーパーだ・・・私に3つもアイス買わせたスーパーだ・・・)』

『(・・・漁夫の利とは・・・こういうことか・・)』

目の前に続く行列を眺めながらそんな事を考えていた。


"何が"とはわざわざ言わないが、社会の縮図の様なものが多岐に散りばめられた出来事だった。

おわり

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