【図解1387,1388】「ただの自分」に目を向ける
【特殊型】仕事や生活ではまず物事があり、それに対して役割を果たす行動をするという「遂行者としての自分」を意識することが多い。
これはもちろん大事なことだが、遂行者としての自分はいわば「手段としての自分」であり、そればかり考えていると楽しみが失われやすい。
時には何も成し遂げない「ただの自分」にも目を向けてみよう。
【マトリックス型】図解など、本質的に役立つことをする時でも、それを役立てようとせずただそれをするならば、「ただの自分」になりうる。
「ただの自分」かどうかは、向き合い方次第。
最近また肩に力が入っているように感じ、自分のバランスを取るためにいろいろ考えていて思いついた図解です。
私は「仕事では結果を出す。プライベートでは結果にこだわらず自分の気持ちを優先する」というスタンスです。
図解やnoteはここでいうプライベートの領域なのですが、ついつい仕事の癖で最適化しようと考えすぎてしまい、窮屈になってしまうんですよね。
これは特に「今月中に○冊の本を読む」「図解を毎日投稿する」などのギリギリの目標を立てた時に起こりやすいように感じています。
少し背伸びするくらいの目標は一般的にはいいことですし、また習慣や仕組みの見直しのいいきっかけにもなります。
ただ、特にプライベートでそれが行き過ぎると「ただの自分」がおろそかになりやすいので、自分の心の状態を見ながらバランスを見つけていくのがいいでしょう。
私はこの考え方を元に、プライベートでは基本的には目標を立てないことにしています
なお「遂行者としての自分」か「ただの自分か」は、2枚目の図解のように取り組む物事ではなく自分の意識による部分が大きいようです。
たとえば私の場合、図解は本質的にとても役立つスキルですが、私はそれをただの楽しみとして行っているだけであり、役立てようという意識では描いていません(”おすそわけ”としての投稿が他の方に役立てばそれはそれでうれしいですが)。
そう言う意味で図解を描いている時の自分は「ただの自分」だと感じています。
遂行者としての自分は生きるために必要ですし、ただの自分も自分の人生を感じるために重要です。
2つの自分、両方とも大切にしながら自分の人生を生きていきたいものですね。
この図解の応用例
この図解を「外部との関係を切り離し、それ自体を見る」と抽象化すると
・他人を見る時の視点(「役割を持つ人」ではなく「その人自体」として見る)
・自然や物事の楽しみ方(理由や情報ではなく、そのものを楽しむ)
・自分と物事を一体化させる(発想を転換させ、物事を分離するのではなく、それまで含めて「自分」に取り込む。いわゆるフローやゾーン、一行三昧(いちぎょうざんまい)の状態)
などにも転用できそうです。
ことわざ化:回らなくても歯車
・この図解を描いた人→詳細プロフィール
・図解の説明→図解パターンの説明と使用例
・今までに描いた全図解→毎日図解マガジン
●関連note&マガジン
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