20191027語るとは感情と論理の両方を使って話すこと

【図解613】語るとは「感情と論理の両方」を使って話すこと

20191027語るとは感情と論理の両方を使って話すこと

【ベン図型】感情だけで話すのが熱弁、論理だけで話すのが説明。

そして、感情と論理を絶妙に組み合わせて話すのが「語る」ということ。


熱弁も説明もそれぞれの良さはあるが、いつかは物事を語れる人になりたい。


以前ツイッターで「語る」について話題になったことがあり、その時から考えていたイメージがまとまったので図解にしてみました(あくまでも私のイメージです)。

図解では感情と論理が同じ分量で混ざっているように表現していますが、私の中では感情が6〜7割でやや多いイメージです。

「熱い思いが根本にあるものの、蓄積してきた経験の熟成により自然とポイントも整理されたわかりやすい語り口」という感じでしょうか。

余談ですが、私の中で「語る」というと「夜にたき火の前で静かな語り口で話すイメージ」があります


ちなみに「語る」の辞書的な意味はこんな感じです。

1 話す。特に、まとまった内容を順序だてて話して聞かせる。「目撃者の―・るところによれば」「決意の程を―・る」
2 語り物を節をつけて朗読する。「浪曲を―・る」
3 ある事実がある意味・真実・事情などをおのずから示す。物語る。「この惨状が台風のすさまじさを―・っている」
4 親しくまじわる。「其の里の人、年ごろ別して―・り、殊更 (ことさら) 内縁のよしみなりけるが」〈浮・武家義理・二〉
goo辞書より

私の中では「語る」は感情の要素が強いイメージでしたが、辞書的にはむしろ論理的なものとなっているのが面白いですね。


そういえば、「これはすごい気づきだ!」と思って書いた力作noteが思ったよりスキをもらえず、自分的には「普通」に書いたnoteの方がスキが伸びる、ということはnoteを書いている人なら一度は経験があると思います。

これは、力作は思いが先走って論理の成分が不足しがちなのに対し、「普通」に書くと程よい距離感で「語る」に近い状態になりやすいのも理由の一つかもしれません。

実際、私も「力作」は後から見直すと図解や文章がわかりにくく、公開後に修正することがよくあります。最近だと下のnoteが思いだけが先走ってわかりにくい「力作note」でした(現在はかなり修正しています)


私は元々論理に偏っているタイプなので「もっと感情面を強めなくては」と思っていましたが、上記のようなことも考えると「感情面を強める」より「感情と適度な距離感でつきあう」という方向性の方がより適切なのかもしれませんね。

個人的に「語れる人」にあこがれているので、これからは感情との距離感をもう少し意識してみようと思います。



画像2

関連図解。「どちらから進んでも最後は反対側も(ある程度は)必要になる」というのは論理と感情に限らず様々な分野に当てはまることだと思っています。この図解について詳しくはこちら


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