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【図解1693】「今日がどんな日だったか」は自分で選べる

【特殊型×プロセス型】「起こるかもしれないこと」は無数にあり、その中で「実際に起こること」をコントロールするのは難しい。

しかし「今日がどんな日だったか」は「1日の最後に何を思い出すか」で選べるし、「あとで思い出すこと」も「日記に何を書くか」によって自分で選べる。

「今日起こること」は選べなくても、「今日がどんな日だったか」は自分で選べる。



人生と日々の生活について感じたことを図解にしたものです。

最近「今日がどんな日だったか」は当日中の短期的な意味でも、1年~数年後の長期的な意味でも、自分で選べるということに気づきました。


私は元々エネルギーが低めなのもあり、夜になると疲れ果ててスマホを眺めたりゲームをしたりしてだらだらしていることが多いです(というよりそれくらいしかできない)。

そのため、たとえ朝にいい図解を描いたり日中いい仕事をしていても、夜にだらだらしていた直近の記憶が強いせいで「今日もだらだらしてしまった……」とネガティブな気持ちで一日を終えることがよくありました。

しかし、最近はnote書き初めに描いた通り「寝る前に自分の気持ちの動きを思い出す」ようにしたところ、あわせて日中の良かったことなども思い出すようになり、「今日は意外と悪くない日だった」と一日の終わりの気分が良くなりました。

これは「今日がどんな日だったか=記憶に残すこと」は「1日の最後に何を思い出すか」で選べる、ということでしょう。


また、私は「10年日記」というアプリを使っているのですが、このアプリは「今日」の下に「昨年の今日」、その下に「一昨年の今日」というように「過去のその日に何があったか」が自然に目に入るようになっています。

正直、旅行やイベントなどよほどのことではない限り、「昨年の今日何があったか」など覚えていないものです。

それがこのアプリだと「昨年の今日の日記」が自然と目に入るので、「ああ、昨年の今頃はこんなことがあったんだ」と懐かしくなります。

最近気づいたのですが、これは逆に言うと「後から思い出されるのは『日記に書いたこと』が(ほぼ)すべて」という意味にもなるんですよね。

日々それなりにしんどいことはありますし、「昨年の今日」もきっと同じだったはずです。

それでも日記を見て「あの頃もまあぼちぼちだったな」と思うのは、過去を思い出す感傷だけでなく「日記にはネガティブなことはできるだけ書かない(書く場合はさらっと)」という「自分で書き残すことを選んでいる」ことがかなり関係しているのだろうと思いました。


いつかのnoteにも書きましたが、私は自分の感情を「コントロールする」のはあまり好きではありません。

それでも「『今日がどんな日だったか』は自分で選べる」ことは、人生との付き合い方の知恵として今後も覚えておこうと思っています。

今回の図解が何かのお役に立てば幸いです。お読みいただきありがとうございました。


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