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余寒の京都旅「朝まだき東大路通」


連日枚方市と交野市がネットニュースで大きく取り上げられていてめっちゃ驚いています。

交野市の騒動については他の人に任せるとして、「桃鉄に枚方市を入れてくれよ」と私も昔思ったことがありました。当時の枚方は人口だけ多い無個性な街で、T-SITEはもちろんないし、旧くずはモールの広場にデゴイチが展示されてはいましたが、全国に誇れるほどの規模ではありませんでした。岡田准一さんがひらパー兄さんになってはや十年。まちづくりが進みだいぶ特徴のある街になりましたが、それでもやっぱり大阪市や京都市と比べると見劣りします。戦国シミュレーションゲーム"信長の野望(創造)"においても桃鉄と同じような状況で、飯盛山や交野、高槻で築城することは出来ますが、枚方は地名すら登場しませんでした。

枚方で唯一押し出せるものがあるとするならば"名産怪獣"枠でしょうかね。ただ行政も地元企業も名産品を全然推してなくて、ガチプレゼンした小学生ほど郷土愛を持っていないのが実情であります。M-1グランプリ敗者復活戦でハイツ友の会がひらかた大菊人形をテーマにした漫才をしましたが大きなムーブメントには至らず終い。そもそも枚方を"ひらかた"と読める人ってアニメファンと鉄道ファン、そして岡田准一ファンくらいなんですよね今もなお。

TSUTAYAの本社を枚方市に置いてくれていたらワンチャンあったかもしれませんが今更言ったところでもうどうにもなりません。枚方市が桃鉄の駅になるには超えないといけないハードルがたくさんあります。至難の業です。枚方の小学生たちよ、大人になっても郷土愛を持ち続けてくれよな。それが一番大切なことなんじゃないかなって私は思っています。

では旅の続きに参りますね。前回は枚方市駅を出発して東福寺駅に到着したものの、思っていたより真っ暗でどうしたものかと困っているところで終わりとなりました。


瀧尾たきお神社本殿です。

これはこれで幻想的な雰囲気で素敵だけれど、こうも暗いと正直何がなんだかですよね。


夜になると龍が動き出して水を飲みに行く

地元民の噂話

こちらは拝殿正面になります。天井には名物の九山新太郎作全長8m"木彫り龍"があり実は私、それを見るのが瀧尾神社一番の目当てだったんです。

この龍、夜になると動き出して水を飲みに行くという噂からかつて金網が張られていたことがありました。なるほど。確かに噂通りでいくら目を凝らしても、画像の通り龍は全く見えません。地元の人たちの噂はあながち間違いではなかったんですね。朝早くに来すぎたのは大失敗でしたが、そのおかげで面白い発見をすることが出来ました。


八時頃に再び東福寺駅に戻る予定を立てていたので一旦神社を後にしました。瀧尾神社については明るくなった頃に詳しくご紹介致しますね。


一橋小学校の碑
一橋小学校は、1869年、進取の気風に溢れ、子弟の教育に熱き思いをたぎらせた地域の先人の尽力により、下京第三十一番組小学校として開校。校名は伏見街道「一の橋」に因む。
以後、1908年の尋常小学校、1941年の国民学校と辿り、戦後の新教育制度の下で、1947年に一橋小学校と改名。
この間、1922年に月輪小学校となる三橋校が、1931年に新熊野小学校となる一橋第三校に分かれる。
2014年、月輪・新熊野小学校、月輪中学校と統合し、東山泉小中学校として新たな歴史を刻むこととなり、百四十四年間の足跡を残し閉校するが、東山泉小中学校西学舎として新たに整備された。古墳時代の住居跡、更には平安後期最勝光院の遺構上に建つ校地には、江戸俳諧の祖・松永貞徳の供養碑が、かつてこの地に子弟の育成に努めた名残として、また、運動場北のビオトープには一の橋の遺跡である石造の欄干が保存され「一橋の森」として共に引き継がれている。

ここにもあったんですね。国家による学校制度創設に先駆けて作られた番組小学校、旧下京第三十一番組小学校、またの名を一橋小学校になります。現在は京都市立東山泉小中学校西学舎として活用されていて、現役の校庭を撮すのはさすがに保安上の問題があると思い碑だけを撮影しました。

神様のお導きかどうかはわかりませんが、旅の始まりだけでなく旅の締めにも番組小学校跡が登場します。これは予め計画していたものではございません。偶然に出会える。だから旅っておもしろいんですよね。


突然ギャーという小さな叫び声。道路の反対側へサササッと動いた後こちらをじっと見つめています。

驚かせてごめん。暗くて気づかんかったよ。とっても可愛い猫さんでした。


東大路通を上って目的地に到着。新熊野神社になります。

うーんまだ暗い。


早起きの鳥さんの鳴き声と羽ばたきは聞こえますが、まだ何がなんだかな状況です。


これが世界遺産熊野古道を模したと言われている京の熊野古道かぁ。


ビビリのわたしがあの鬱蒼とした暗闇に立ち入る勇気は毛頭ございません。


新熊野猿楽図ですが、うーんもうちょっと光が欲しい。


新熊野神社は能楽発祥の地とされている場所で、時々京都検定で出題されています。


勉強していないと熊野信仰と後白河法皇の関係や、新熊野神社と能楽の関係はわかりませんからね。難しい問題を作りやすい神社の一つとなっています。


とても立派な新熊野神社の大樟。樹齢なんと800年。能楽発祥の1375年より古いというのが驚きですよね。


日が差してきたもののまだ暗かったので、瀧尾神社に続き新熊野神社も後回しにしました。

以上です。ずっと暗い画像ばかりでごめんなさい。次回はトビウオ絵馬が珍しいあの神社でお参りを致します。



今回の旅ルート

©Google Map


追記

note公式マガジンに記事が掲載されました。ありがとうございます。



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