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京都・石清水八幡宮周辺を歩く早春旅「絲杉山神應寺」


桜散り気づけば四月末。時の流れは本当に早いですよね。混雑を苦手とする私は先日静かな場所で散歩をしました。晴れやかで涼しい風が時折吹いたものの気温はなんと30度。水分補給をしっかり取ったものの暑さに慣れていなくて帰り道に頭痛を起こしてしまいました。GWは皆様もいろんなところへ旅行されるかと思います。熱中症には十分お気をつけ下さいませ。


前回は中世期以前では日本最大の石塔『五輪塔』、またの名を航海記念塔を見学しました。


今回は江戸時代まで石清水八幡宮の神宮寺だった曹洞宗寺院、絲杉山ししんざん神應寺じんおうじへお参りをします。


京都府八幡市有数の観光名所の一つでこちらもずっと気になっていました。


道不可求可致

神應寺第五十世謹書

門に掲げられていたこちらの看板。

有名な人の言葉かと思い家に帰って調べてみたところ該当なし。どうやらご住職オリジナルのようでした。翻訳アプリの開発がどんどん進んでいる昨今ではありますが漢文の翻訳サービスってないんですね。強引にGoogle検索してみたところ近いものがヒットしました。


"経進東坡文集事略"より出題された熊本大学の過去問にご住職の言葉に近いものがありました。蘇子は筆者になります。

蘇子曰、「道可致而不可求。」
⇒蘇子曰く、道は致す可くして求む可からず。
⇒道は致すべきものであって求めるものではない。

書き下し文と現代語訳


哲学や理念、思想はけっこう理解できるほうです。しかしこれに関してはよくわかりませんでした。私自身がまだその境地に至っていないということなのでしょう。

この言葉を人生の宿題にしたいと思います。


由緒
当寺は、八幡神を宇佐より男山に勧請した僧行教ぎょうきょうにより860年応神天皇の位牌所として開創したと伝え、法相・天台・真言と宗旨はかわり、室町時代に曹洞宗に改宗する。
豊臣秀吉の正室北政所が帰依する弓箴善彊きゅうしんぜんきょうは、当寺の中興十二世住職である。
豊臣秀吉朱印状により1589年寺領百二十石が給され、1592年の朝鮮出兵時には九州名護屋へ出陣を見舞う間柄であった。
その後、徳川家康をはじめ歴代徳川将軍から寺領が安堵され、八幡宮領内や近隣に末寺数ヶ寺を組織していた。
十九世廓翁鉤然かくおうこうねんは、大奥総女中頭右衛門佐局の支援で、将軍徳川綱吉と御台所より袈裟を賜り、各地を勧進行脚して寺観を整えた。1700年多くの雲水が毎年修行する常法幢地じょうほうどうちの寺格を得て、洛南有数の禅苑となる。
明治維新の神仏分離では男山の仏教施設は悉く撤却されたが、開山堂に祀られていた行教像は、還俗式で紀中津御祖神と改称して難を逃れ、1873年墓所のある当寺に移徒された。この行教律師座像は、一木彫成・翻波式衣文ほんばしきえもん表現等平安初期彫刻として国の重要文化財に指定されている。
書院は、江戸時代初期で八幡市域現存最古の書院建築であり、書院障壁画(八幡市指定文化財)は、狩野山雪筆の優品である。鰐口わにぐち(京都府指定文化財)は、1332年の銘をもつ基準作である。
奥院杉山谷不動堂にある矜羯羅こんがら童子・制多迦せいたか童子立像(八幡市指定文化財)は、14世紀後半作の等身大の貴重な像である。
境内墓地には、大阪淀屋橋・常安橋に名を残し、巨富と分を過ぎた豪奢な生活をとがめられ欠所処分で衰微した、豪商淀屋辰五郎一族の墓碑や淀藩永井家の家老一族・右衛門佐局等の供養塔がある。その他多くの貴重な史料や文化財を伝える。

絲杉山神應寺


え?ちょっとまって?

鳩が豆鉄砲を食ったようにきょとんとする私。


事前に五輪塔や神應寺の場所はチェックしたのですが、道の状況までは把握しなかった私。これは普段山を怖がり整備された場所ばかり行っていた経験不足が原因です。

男山散策路『こもれびルート』は、男山の三角点があり山頂へ行ける唯一の道です。安全性の確保が困難となったため昨年の三月末に八幡市の管理下から外れることになりました。


恐る恐る参道の階段を登ります。

古来より交通の要所として発展してきた男山エリアですが、木津川や宇治川が傍を流れる急峻な地形なので自然災害にめっぽう弱い地域でもあります。山道を整備するには莫大な費用を必要とし、元々は私有地でケーブルカーや他の散策路もあるため、こもれびルート廃止は致し方なしと思いました。


息を切らしつつたくさんの石段を登りなんとか境内に到着しました。


こちらが神應寺本堂になります。

派手さはないものの荘厳さが感じられる立派な寄棟造。屋根の傾斜が特に美しいですよね。境内散策は自由とのことですが拝観する場合には事前連絡が必要となります。


こちらは淀君茶室の庭石です。

右は座禅石で、左は蓬莱山を見立てた石に見えましたがどうでしょう。


こちらは神應寺書院でしょうか。

どこにも解説が書かれていなかったので書院かどうかの確証が持てませんでした。ごめんなさい。伏見城御殿を移築したものだと伝わっています。


背割堤の桜並木が大変有名になりましたが男山周辺は紅葉の名所がいくつかあり、こちら神應寺では例年十一月に紅葉祭が開催されます。秋の景色もぜひ観てみたいなって思いました。

以上です。次回は山の中へ進み奥の院と呼ばれる場所へ向かいます。



今回の旅スポット


追記

note公式マガジンに記事が掲載されました。ありがとうございます。


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