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春風の京都・稲荷山登頂リベンジ旅「御膳谷奉拝所と大石良雄旧跡道標」


「今年やりたい10のこと」

2024年の元日に表明し、現在三番目の稲荷山登頂再挑戦した旅の記事を書いています。進捗状況は順調なのですが、ひとつ変えようかと思っている目標があります。七番の京都市北部旅です。代表的な観光地は大原でしょうか。貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られ、学生時代に一度だけ訪れたことがあります。とても素敵なところでした。

なぜ変更しようと思ったのか

新鮮味を感じなくなってしまったからです。え?一度しか行っていないのに?と思う方もいらっしゃるでしょう。大原は京都関連の番組で度々特集されている場所の一つです。何度も観ているうちに行かなくていいかなと思うようになってしまいました。理由は他にもあります。私の住んでいるところはほぼ田舎です。十数分車を走らせるだけで大原に似た景色が一面に広がっています。たまに京田辺市や笠置町の名所が関西ローカルで取り上げられることがありますが、京都検定を勉強している私でさえも正直よくわかっていません。木津川市の浄瑠璃寺は半年前に初めて知りました。京都府南部エリアは外国人観光客が注目していない穴場なので、オーバーツーリズムに悩まされる心配もありません。欠点は交通の便くらいでしょうか。

もちろん大原エリアが嫌いということでは全然なくて、雲ヶ畑など気になるところはたくさんあります。まず先に交通費が安く済む京都府南部を知ろうというのが、私が変更を決断した主な理由になります。大原方面はいつでも行けますしね。急ぐ必要はありません。夏山は何かと怖いので旅の時期は秋以降になるでしょうか。京都府南部の素敵な名所を皆様にご紹介できればと思っております。


前回はにしむら亭さんで甘酒を注文しました。

昔の人も飲んでいたエナジードリンクで元気いっぱい。今回はその続きからになります。四つ辻で地図と道標を確認。

えっとー、この道を辿ればいいのね。


『枕草子』152段「うらやましげなるもの」の舞台になっているのがこの稲荷山になります。清少納言が二ノ峰で休憩したという記述があります。

実質初めての稲荷山登頂ということで一ノ峰から順に登りたかった私は、感覚で方向を見定めて、道標が指し示す方向に従い歩き始めました。


『光る君へ紀行』第21回で枕草子と伏見稲荷大社が紹介されていてビックリ。だって投稿予定の下書きと内容がまったく同じだったんです。

「おやまの参道には今のような鳥居はなく、別の登り口から上がっていたと考えられています。」

違いはこの解説ぐらいでした。前回の記事に書きましたが千本鳥居ルートは稲荷山から少し離れた南側にあります。おそらく都に近い北側の山科参道や京都一周トレイルルートが本来の参道だったのでしょうね。

《余談》


こちらは大正三年に建立された稲荷山復旧碑になります。

本文はまったく読めませんでしたが、左には官幣大社伏見稲荷神社宮司の大貫真浦という名を見ることが出来ます。


うんー、なんかおかしい。

若干の違和感を覚えましたが、来た道を戻る体力と脚力が無かった私はそのまま先へ進むことにしました。


はい。これが道迷いの心理「正常性バイアス」になります。鳥居が並んでいるから間違いない。これまで順調に来たんだから大丈夫だろう。根拠のない自信が私の判断を狂わせていました。

《補足》


眼力社に到着してようやく道を間違えたことに気づきました。南の三ヶ峯ルートを歩いていたつもりが実際は北の裏ルートを歩いていました。

これまで私は山の遭難事故報道を他人事だと思っていました。なんて迂闊な人たちなんだって。今回はたまたまどちらも山頂へ至るルートだったので問題にはなりませんでしたが、さらにもう一歩間違えていたなら稲荷山登頂を断念する事態になっていたでしょう。


先日男山を散策したことで自信過剰になっていました。完全に整備された道でも迷うことはあります。行き当たりばったりで山に入ってはいけないことをこの旅で学びました。遭難事故は多くの人に多大な迷惑をかけます。私の最終目標は愛宕参りです。山へ入る機会があるときは必ず準備万端で挑みたいと思います。反省と精進ですね。

《補足》


御膳谷奉拝所に到着しました。

稲荷山中腹にある社務所で御朱印を授かる事ができます。おそらく海外の観光ガイドに載っていたのか多くの外国人観光客が立ち寄っていました。


社務所の向かいにある石段を登ります。


こちらが三ヶ峯を拝する要の所、御膳谷奉拝所祈祷殿になります。

地域住民の大きな負担になることから神様へのお供えを行う神社が近代に入って激減しましたが、こちらは今も毎日朝と夕方におやまの神々へ神饌のお供えが執り行われています。


絶景ですね。


日本の伝統的宗教施設は娯楽化して久しいですがもちろん畏敬の念を忘れてはいけません。

そういえば八坂神社で鈴緒を振り回した人の迷惑行為がSNSにあがり大きな騒動に発展しました。


礼拝所不敬罪という刑法があるそうですが法律以前の問題です。これに関しては別の機会で詳しくお話出来ればと思っています。


五穀豊穣?


大石良雄旧跡道標を発見しました。

北側には山科参道と呼ばれる山道があり、ここから山科の里へ行くことが可能になっています。大石良雄は吉良邸討ち入りを果たす前に伏見の遊郭へ通っていました。おそらくこの道を行き来したと思われます。

人は危機を感じると生命を残そうとします。赤穂事件の元禄期は平和が長く続いていたので戦を経験している武士はまったくいませんでした。女色に溺れることで死の恐怖から逃れようとしたのでしょうね。

「仇討ちなんてしなくていいのに。」

という考えは我々の価値観に過ぎません。寿命が今よりずっと短い世の中でしたから、仇討ちが自分の死に場所であると心に決めたのでしょう。武士道といふは死ぬ事と見つけたり、という格言があります。その言葉通りに命を散らした赤穂四十七士。多くの民衆の支持を得たのは、きっと彼らの生き様に共感した人が多かったからなのでしょうね。大石内蔵助は令和時代となった今も山科の英雄です。


以上です。ご精読ありがとうございました。

次回は三条小鍛冶宗近が山中の稲荷大神様の助けを得て名刀小狐丸を鍛えたと伝わる、長者社こと御剣社へお参りをします。



今回の観光ルート

©️Googleマップ


追記

note公式マガジンに記事が掲載されました。ありがとうございます。


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