見出し画像

アブダァルマリックからの連絡

2013年秋から2014年春までの半年間、イギリスのオックスフォードに語学留学をした。

前年、兄が病気で亡くなり、その後数カ月間は胸がえぐられるような気持ちで仕事を続けていた。それまでだって日々の生活に希望が持てず、ぼんやりとした絶望を抱えて過ごしていたのだが、兄の死を境にその絶望ははっきりとしたものに変わった。
このままではこの生活もこの気持ちも絶対に変わることはないのだと悟った時、とてつもない恐怖が自分を襲い、何がなんでも前を向こうという気になった。生活を大きく変えたいと思った。
学生時代にも欧州に留学したことはあったが当時は右も左も分からず消化不良のまま帰国したこと、世界の共通語である英語をまともに話せないこと、きちんと英語を勉強して仕事に繋げたいという思いを実はずっと持っていたこと、こんなようなことをこの時はっきりと自覚した。
新卒から5年以上勤めている会社を辞めることに両親はかなり反対したが、最後は応援してくれる形となり、私は神がかった速さで留学の手配をし、めちゃくちゃ気が重くなるプロセスを経てその会社を退職して、オックスフォードに渡った。

先に書いてしまえば、現地ではとても充実した生活を送ることができた。自分で自分の環境を変えるために、こんなにも良いエネルギーを使ったことは今までの人生でなかったなと思えるほど、夢中になりつつも流れに身を任せるということを覚えた、そんな夢みたいな日々だった。

画像6

同日入学した生徒の中に、Esther(エステル)という名の同い年のスペインの女の子がいて、すぐに仲良くなった。相手の言ったことをそのまま受け取るような素直で優しい性格の子で、昼休みも放課後も週末もいつも一緒にいた。彼女とは歳が同じであることの他にも沢山の共通点があり、習ったばかりの英語表現を使って色々な話をした。本当に楽しかった。

可愛らしくおっちょこちょいで、私と同様まあまあのいい加減さもある彼女だったが、育ってきた環境が全然違うんだなと感じたことがあった。彼女と市内の教会へ礼拝を見学しに行った時のことである。
その時、私は観光客気分で不躾にきょろきょろ周りを見回していた気がするが、ふとエステルを見ると、彼女は前方の聖歌隊とイエス・キリストの像をまっすぐと見据えていた。それは感謝と自信に満ち溢れたような、そんな表情だった。その後、頭を垂れて何かつぶやきながらお祈りを始めた。
彼女とは何でも気軽に話し合える仲だったが、この時ばかりは「本当にそうやってお祈りするんだね!」なんて話しかけてはいけない気がした。
その後お祈りタイムが終わり、一緒に教会後方のドアまで歩いていって外に出ようという時、彼女はくるりと振り返り、勢いよく手を上げてから振り下ろし、それと同時にひざまずいて、前方のキリスト像に向かって最後の挨拶をした。
それは圧倒的にさりげなく、最初からそうすると決まっていたかのようだった。確かに決まっているのだろうけど、とにかく、その瞳や眼差し、仕草や姿勢に、安易に入ってはいけない神聖さというものを感じた。そして信仰というもののどうしようもないパワーを感じた。

私は特定の宗教に入っていない。正確に言うと自認していない。日本人なので、時には神社やお寺に行ってお願いごとをしたり、空に向かって何かを祈ったりすることはある。でも「自分は〇〇教の信者だ」という認識はない。なので何か特定の神様を信じることやその教えに従うということが感覚としてない、分からない。だから、信仰を持つ人のこういう行為を目の当たりにすると、どういう面持ちで隣に居ていいのだろうと思ってしまう。もちろん敬意を払い、失礼のないようにしてるつもりなのだけど。

画像4

語学学校には世界各国からの留学生がいたが、男性陣はサウジアラビアなど中東地域から来ている面々が多かった。年齢層も幅広く(それは彼らだけではなかったが)、大学進学を目指している若者もいれば、仕事のために来ている者、すでにリタイアした者など様々おり、いつも楽しそうに喫煙所で話したり、金曜午後の礼拝に出かけたりしていた。美人のエステルにちょっかいを出している野郎もけっこういた。
休み時間や放課後には、とある方角に向かってお祈りしているところをよく見かけた。ここでも私は、「祈る」という彼らにとっては日常の、私にとっては非日常の行為に興味が湧いていた。許可をもらって見学させてもらい、写真まで撮らせてもらったこともある。

中東地域の一つ、リビアからAbdalmalik(アブダァルマリック)という名の17歳の男の子が来ていた。アブダァルマリックは最年少で、お兄さんたちからは「マリック」と呼ばれ可愛がわれていたが、英語力は抜きんでて高く、十代とは思えないくらい物静かで落ち着いていた。体格も良かったので、何だか重鎮のような雰囲気があった。休み時間にイヤホンでエミネムを聴きながらリズムに乗っているところを見れば普通のティーンエイジャーと変わらないのだが、聞くところによるとリビアの高校を飛び級で卒業し、大学進学を目指して英語の勉強をしに来ていたようである。エミネムのラップの単語一つ一つが聞き取れるらしく、じゃあ別にここで勉強するまででもないじゃん、なんて思われていた。日本人の間でも「リビアの天才児」などと噂していたりした。

そんなアブダァルマリックと私は、2カ月ほど午後の授業2コマが一緒だった。IELTSを受ける生徒のためのクラスで、イギリスをはじめとする大学・大学院への進学を目的とするクラスだった。皆、テスト日程が近づくと徐々にイラつきはじめ、模擬テスト後の答え合わせの時間は、殺気立った議論の場と化していた。
かくいう私はIELTSを受ける予定はなく、英語力を高めたいという抽象的な理由でそのクラスにいたので、精神的にはお気楽な毎日を送っていたのだが、なかなかの落ちこぼれだった。抜きんでて正答率は低いし、聞く・読む・書く・話すにおいて色々と遅かった。
反対にアブダァルマリックは成績がよく、先生からもよく褒められていた。だが時には誤答することもあり、そんな時は、歳も下だからか他の生徒に怯えているように見えた(私も怯えていたのだが)。
いつしかアブダァルマリックから「隣に座ってほしい」と言われるようになった。答えを間違えても、私は責めないので彼にとって居心地が良かったのだろう。私も私で、よくできる彼が隣にいてくれたら助かるので、お互いウインウインの関係だった。そして、男女とはいえ歳が一回りも違うので、お互い恋愛対象として見てないことも分かっており、変な照れもなかった。
アブダァルマリックには、英語の勉強はもちろん、私は事あるごとにイスラム教の習慣についても尋ねたりしていた。ラマダン期間中はどう過ごすのか、陽が落ちた後最初に何を食べるのかとか、信仰を持つという概念そのものなど抽象的な質問もしていたように思う。

画像6

その後、アブダァルマリックは2014年の1月に学校を去り、私も4月に日本に帰ってきた。比較的記憶力の良い私だが、彼に最後に会った時のことをよく覚えていない。クラスを出れば、私には私の、彼には彼のコミュニティがあったから、そんなに湿っぽくない最後だったと思う。

だから、帰国してしばらく経った5月の下旬に、彼からFacebookのメッセンジャーへ「元気?」と連絡が来た時はちょっと驚いた。そのたった一言の連絡にかすかな違和感を覚えながらも「元気だよ。元気?今どこにいるの?」と返した。
そうしたら翌日、「貴女にとても大切な話をしなければいけない。貴女に初めて会った時からそれが頭の中にずっとあって、今でも夜寝る前に考えてしまい、とても悩んでいる。その話をしてもいい?」と返信があった。
何を言っているのか分からなかったのだが、この時、私の頭に変な考えが浮かんだ。
「こやつ…私のこと好きだったのか…?」と。
今一度クラス内での関わりを思い出してみたが、優しかったにしてもそんな素振りはなかったように思う。でもこの書き方は何か変だ。でも確信は持てない。何だ、何だ、ちょっとドキドキするじゃないか。
とか考えていた私だが、とにかく合点行かないので、「えっと何を言っているのかよく分からないんだけど…、何か困ったことでもあったの?」と聞いた。
次の日彼から「あはは、いやそんな悪いことじゃなくて。でも貴女がOKと言ってくれるまで、僕はこの質問をしたくないんだ」と返信があった。
もうこの時点で3往復目に突入している。ここで「聞いてこないで」なんて返すわけにはいかない。だから「どうぞ、何?」と返した。

次の日、彼からメールがあった。そこには一言、「貴女はイスラム教徒になりたいと思ったことはある?」と書いてあった。
なぜこんなことを聞かれているのか、その時点でも分からなかった。私がイスラム教徒になることで彼に何らかのメリットがあるから誘われているのかなとも思ったが、これまでのメールの雰囲気や彼の性格からしてそれは違うなとすぐに思った。だから分からなかった。
でも、この連絡に対して軽薄な返信をしてはいけないことだけは一瞬で分かった。慎重に、丁寧に、言葉を選んで、「思ったことはない」という主旨でメールを返さなければいけないのだと、やりとりがもう四往復目に入っているということからも感じた。

だから、こう返信した。
「正直に言うね。なりたいと思ったことはないです。イスラム教徒だけじゃなくて、キリスト教徒にも仏教徒にも。私は日本人で、日本人は特定の宗教の信者だと自認していない人が多い。だから私は信仰を持つという概念が分からない。一般的な日本の習慣が、仏教や神道から大きく影響を受けていたりもする。でも、例えばイスラム教のように特定の時間にお祈りをしたり、特定のモノを食べてはいけないといったことはない。だから何かを信仰しているという感覚がない。不思議に思うでしょう?でもこれが私にとっての普通の感覚なの。例えて言うなら`おじいちゃん’。私のおじいちゃんは父方も母方も私が生まれる前に死んでいるから、私は会ったことがない。だから、会えなくて寂しいと思ったこもない。おじいちゃんっ子からすれば信じられないと思うけど。それと同じ感じかな。ところでどうしてこんな連絡くれたの?」と返した。

次の日彼からこう返信が来た。「あ~そうか、何だか惑わせてしまったようですね。オックスフォードに居た時、貴女は本当にイスラム教に興味を持っているように見えたから、入信したかったのであればそのための手はずを整えるのが僕の義務なのに、あの時何もしなかったものだから、ずっと悩んでいたんだ。でも違ったんだね。それにしても…この質問で貴女を困らせてしまったようで、本当にごめんなさい。」

私はツンとするような感覚を覚えながら、こんなことを感じた。
私は十代の若者をこんな風に悩ませて半ば期待させるほどの振る舞いをしていたのだ、ということを。
この子は信仰においても対人関係においても非常に真摯な姿勢を持っている、ということを。
故に自分の信仰しているものに興味を持っている外国人にこんな核心をついた質問がなかなか出来なかった、ということを。
故にしばらくの間悩んでいたのだ、ということを。
そして。
別に私に恋心を抱いているわけではない、ということを。
私は、一瞬でもそんな考えが浮かんだ自分を恥じた。本当に、恥じた。

その後、私から「困らせてなんかない。私のこと考えてくれてありがとう。日本の慣習は独特だっていうことは私も分かっていて、だからこそあなたや、キリスト教徒であるエステルの習慣や考え方に興味があったの。何かに思い悩んだ時に信じるものがあると救われるよね。また色々教えてくれると嬉しい」と送り、彼からは「いつでもどうぞ」と返信をもらって、このやりとりは終わった。

画像6

それにしても何とも言えない尊い出来事だった。私は、このアブダァルマリックとのやりとりまでが留学生活だったと思っている。オックスフォードを離れる時、感謝の気持ちと寂しさで胸がいっぱいだったが、日本に帰ってからのこのメールで何だか総括されたように思う。

オックスフォードで出会った人々、そこで得た思いは、毎日に希望を見出せず、さらには兄を亡くしてどうしようもない喪失感に苛まれていた私を、救ってくれた。なにも海外で生活をすることだけが人生を変えるのではない。世界や物の見方がガラリと変わるということは、どこでだって起こりえるだろう。しかし、元来言葉が通じ合わない者同士が、互いに興味を持ち、拙い表現で自分たちの「知りたい」と思うことについて話し合い、完全な融合はできなくとも尊重をし合う、という経験は、私にとってかけがえのない人生の大きな大きな宝物になった。
(本筋とズレるが、先述のエステルにとても感謝していることがある。彼女は、兄の命日の夜、私が一人にならないよう一緒に過ごそうと提案してくれ、何も言わずに側にいてくれた。言葉を超えた友情を持て、あの日私は間違いなく幸せだった。こんなこと、その1年前の自分が想像できたはずがない。彼女に何度も言った台詞がある。「この生活が大好き!私は宗教に入っていないけど、でも神様があなたを私の人生にポンっと置いてくれたんだと思ってる」)

結局私は、宗教とは何なのか分からない。真剣に学問として修めたわけではないので何ら偉そうなことは言えない。
でも一つ言えることは、決して怖いものでも排他的なものでもないこと、そして誰にでも開かれているということ。
何となくだが、そんなことは分かった気がする。

今回この出来事を書くにあたり、承諾を得るために7年ぶりにアブダァルマリックに連絡した。すぐにOKの返事があった。7年ぶりとは思えないほど、あの頃と変わらず穏やかで優しい雰囲気が文面から伝わってきた。オックスフォードの後、キプロスの大学に入り、卒業後はリビアに戻って、今はシステムエンジニアとして起業しているとのこと。毎日大変だけど頑張ってる、最近は日本のアニメや漫画を見て日本語も勉強してると書いてあった。とても嬉しかった。そして最後に、私が「リビアにいつか遊びに行かせてね」と書いていたことに対して、「もちろん来てほしいけど、今リビアは政治情勢が不安定で、僕だって自由に外出できない時もあるんだ。もし本当にここら辺に来たいのであれば、コロナの後にトルコとかチュニジア辺りをお勧めするよ」と書いてあった。
相変わらず…優しい。彼は、相手が何気なく言ったことをちゃんと聞いて、言及する人だ。この「聞いていてくれている」という安心感。居心地の良さをしみじみと思い出した。

それまで意識したことのないリビアという国から来た、歳が一回りも違う男の子。でも彼は単なる年下の可愛い子ではなく、あのメールを経て、私の中で、尊敬する大切な一人の友人になった。次はいつ会えるのか分からない。でもまた会えた時には色んな話をしたい。聞いてみたい。イスラム教の奥深さ、生活に根づいている習慣、それから得られる安心感など。
その時まで、彼の健康と益々の活躍、そしてリビアの平和を願わずにはいられない。

画像6