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純日本人なのに人種差別を受ける

 「お姉ちゃんどこの国から来たの?」
バイトでレジ打ちをやっている時に、お客さんから聞かれた。当時の私は高校3年生で、外見が外国人に見えるのだと勘違いして、能天気に喜んだ。今日お客さんにこんなこと言われたんだけど、わたしめっちゃ日本人顔じゃんねーうけるー、と報告した時の、母のちょっと戸惑った表情は今でも覚えている。

 鈍感なのか、何をどう感じて過ごしたらこうなるのか自分でもよくわからないのだが、20歳ぐらいになるまで、自分の発音が人と違っていて、それが外国人の話し方のように聞こえると言うことを知らなかった。だが、母は昔から私の発音に厳しかったので、自分が話すのが上手だと思ったこともなかった。実際、サ行やタ行の発音が苦手だなぁとは小さい頃から感じていた。かといって、あなた話し方おかしいわよと他人に指摘されたこともないので、人並みには話せているつもりでいた。何か決定的な出来事があったわけでもなく、歳を重ねていく上で、ただ漠然と、難聴だからやっぱりちょっと発音がおかしいところがあるんだろうなぁ、と感じ始めたのだった。

 今でも接客をしていると「日本の方ですか」と聞かれることがある。その時は、耳が悪い旨を説明して、聞き取り辛かったらごめんなさいと返すようにしている。

 だが、人の気持ちを考えずに発言する人も、まぁまぁ多い。
いらっしゃいませ、と店頭に出ていくときの私の一声で外国人と判断し、店の奥に向かって「日本人がいいんだけど」と他のスタッフを呼ぶお客様。日本人です、と答えると、今度は「店長がいいんだけど」と言うお客様もいた。この場合、残念ながら私が店長なので、心の中でザマァ見ろとほくそ笑みながら対応した。また別のパターンだと、声がとても小さいお客様で、接客中に聞き直しが多い私を怪しく感じて「日本人だよね?」と、名前札と顔をジロジロ見られたこともある。
 難聴であることを説明しても、なんだか納得しないような表情をされるので、もう開き直って【私は日本人なのに日本語の発音が下手です。聞き返すことも多いのですが、こういう人間です】と投げてしまったほうが楽なのでは、と思うこともある。

 私の日本語は年々下手になっている。この人種差別のような経験が年々増えてきている事がその証明だ。小学生の頃は、学校にあるきこえの教室で発音の練習を受けられた。また、母が近くにいたので、気になるところがあると何度も言い直しをさせられた。
 一人暮らしになった今、誰も発音を指摘してくれる人がおらず、むしろ周りが私の言葉をうまく聞き取れるように順応してくれている。申し訳なくて、一人で朗読をしたりして発音の練習をしてみるだが、自分の声はちゃんとして聞こえてしまう。誰か専門家や先生の手を借りて、大人が発音の練習を受けられる場所をずっと探している。日本に生まれ育った身なのに、発音のせいで外国人だと怪しまれるのは、なかなか辛い。

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