眞木準賞の取り消しについて思うこと

ある方のブログを拝見するまで全然気づかなかったのですが、今回の宣伝会議賞の「眞木準賞」が取り消しになりました。

この賞は、故・眞木準さんの功績と人柄を偲んで設立されたもので、創意、センス、技法等、故人の名に最もふさわしい作品に与えられます(コピーを「作品」と呼ぶのは好きじゃないのですが…公募賞なので便宜上ママでいきます)。

えっ、取り消しなんてそれ相応の理由がないと起こらないことだよなぁ、と思って宣伝会議賞の公式サイトをのぞきに行くと、どうやら今回の受賞作品が過去の応募作品と酷似(プロとして厳密に言うと「え」がそれぞれ大文字と小文字になっており「全く同じ」ではない)していたとのことでした。

どうやら今回問題となった作品を応募された方は、もともとそういった疑惑のあった方だそうですが、いわゆる「パクリ」かどうかは書かれたご本人しか分かりませんし、個人を中傷したところで何も変わらないのでそこは控えたいと思います。しかし一連の話を知って、率直に思ったことがありました。

それは「そんなの書いて(ないかもですが)いて楽しいのかな…?」でした。

他の人がああでもないこうでもないと昼夜問わず考えに考えたアイデア(全部がそうではないにしろ)を拝借して、少し変えたりして、自分のものとして応募する。その作品が審査を通過したり最終ノミネートに残ったり受賞したとして(今回は受賞されたことで余計問題になったのでしょうが)それって意味あるの?罪悪感にかられたりしないの?名前も作品もSKATに載るのに恥ずかしくないの?と。

僕も上限の2,300本を応募するくらいなので、宣伝会議賞に対する情熱というか本気度はどちらかというとある方かとは思うのですが(ここ数年は沖縄合宿まで組んでいますw)そんなこと考えたこともなかったので、正直びっくりしたところもあります。2020年の東京オリンピックのエンブレム問題で、デザインの「パクリ」についてライトが当たったことを覚えていらっしゃる方は少なくないでしょうが、広告コピーにおける最大の公募賞である宣伝会議賞にもこんなことがあるなんて、と。性善説で考えすぎなんでしょうか…。

なんやかんや言われてはいるようですが、毎年応募数が右肩上がりで増え、反面通過率は下がり、どんどんハイレベルなものになっているこの賞。それでも今年こそは頂点を!と毎年真剣に応募されている方からすれば、今回のことに関して怒りや憤りを覚えることは非常に理解できます。理解できるのですが、やはり自分が最初に思ったことは、なぜかどこか寂しい気持ちに近いものでした。うへぇ、マジですか。。くらいに。

宣伝会議賞のいいところのひとつとして、一次審査さえ通過できればコピーと自分の名前がセットで世に出る点があると思います。僕も実際にお会いしたことこそないけれど、毎年SKATで名前を見かける人がたくさんいます。

あっ、この人今年も見つけた。こんなに通過しててすごいなぁ。どのコピーもうまいなぁ。どんな人なんだろうなぁ。何かでお会いする機会があったら飲みにでも行ってコピーの話してみたいなぁ。なんてことをいつも思っていたりします。みんながみんなそうではないかもしれませんが、他の応募者の方の名前とコピーは少なくとも僕にとってのモチベーションであり、クサくいえば「同志」のように感じられる存在でもあります。もしかしたら、そんなことを思っていたこともあって余計に凹んでいるのかもしれません。

また、このことについて考えた時に、コピーライターの師匠・中村禎さんの「なぜあなたはコピーを書くのですか?」という教えを思い出しました。

“なぜあなたはコピーを書くのですか?”
“あなたは「何のために」そのコピーを書くのですか?”
“宣伝会議賞を獲るために書いているのですか?”

コピーライターである前に、一人の人間としてどうあるべきか。その姿勢を間違えてしまうと、今回のように誰も幸せにならないなと感じました。本来コピーは、物事をより良い方向へと動かすべきものであるはず。それが憎しみや怒りなどマイナスの感情の対象となってしまっている今回の件に対して、コピーライターとして、宣伝会議賞の応募者として、ひとりの人間として、触れないわけにはいきませんでした。

誰にでも使える言葉だから、似たようなものが生まれてくることは事実です。ただそれを生み出す者の姿勢として、やってはいけないこと、超えてはいけない一線があるのだと、自分に対しても改めて言い聞かせようと思いました。

今回の件が次回以降の宣伝会議賞にどう影響を及ぼすのかは分かりませんが、もしも眞木さんが知ったらなんとおっしゃるんでしょうね。ご自身のお名前がついた賞でこんなことが起こったことを考えると、きっと「けしからん」となるより、悲しまれるのではないのでしょうか。残念ながら一度もお目にかかることができなかった僕は、勝手ながらそう思っています。

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