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世界が違って見えた

今日は自分の原動力になるような
恩師について話す機会があり
書き留めておこうと思いました

ろうのおじいちゃん

その人はろうのおじいちゃん
まあおじいちゃんといっても60歳くらいだったかな

私が看護学校に行っていた時の担当患者さんです
胃潰瘍かなにかで入院していたけど
忘れるくらい、もう退院間近で様子見の状態でした
だから、いつもベッドにいません

名前を呼んでも聞こえないから返事もできないけど
どこにいるかは すぐにわかりました

病棟で笑い声が起こってます
そこが彼の居場所です

たくさんの患者さんが 彼を囲んでいます
彼がジェスチャーをして 繰り広げる
面白おかしい話に みんな おなかを抱えて笑っています
私を見つけると、いつも嬉しそうに顔をくしゃっとさせて 
笑ってくれました

病気の話をしても 具合を尋ねても
いつもユーモアたっぷりに 大丈夫であることを教えてくれます

同室の患者さんとも親しくて
みんな 彼のことが好きでした

宇宙に行ってみてよ

退院したら アメリカに行くんだよ 
と教えてくれました
英語できるの? とあほな質問をする私
言葉なんていらないよ と笑います
世界中旅しているんだよ
あなたも 考える前に やってごらんよ

僕みたいに 耳が聞こえなくても 口がきけなくても
興味があることは何でもしてきたよ
この地球に生まれたんだから
広い地球を全部見るんだ
あなたはせっかくだから 宇宙に行ってみてよ

彼の言葉に 私は衝撃を受けました
あれこれと理由をつけては 
いろんなことをできないと思い込んでいた私に
宇宙に行って という彼の言葉に(ジェスチャーですけど)
強いものを感じました

彼は飛び出すんだ、飛び出すんだと 必死に私に伝えたのです
地球の話をしていたので 「宇宙?」ときくと
まあね といった感じに笑いました

もし僕が 聞こえていたら
こんなじじいの世話なんてしないけどな
もっとおもしろいことしたら?

なんだってできるよ

世界が違って見えた

その当時 私は看護学校に通いながらも
看護師になりたいと思っていたわけでもなく
ただ、看護師になる という
できてしまった自分の道を歩いているだけでした
(成り行きで看護学校に進学したため)

彼の生き方が
すごく身軽にみえて 
聞こえないという 大きなハンデを持っていながら
彼はそのハンデを軽やかに 乗り越えているのです
「なんだってできるよ」
彼が言うと 本当にその通りに思えて 
突然世界が違って見えました

もっと話したい

私は図書館に行って 手話の本を借りて
「もっとたくさん話したいから 手話を教えて」
と頼みました

すると いつもニコニコしている彼が
突然泣き始めました

私が手話を教えてほしいと言ったことに感動したのか
もっと話したいと言ったのに感動したのか
それとも悲しかったのか
今もはっきりとは わかりません
(その後も教えてくれなかったから)

もう私たちの関係は完璧だよ
手話はいらないと思わない?

でも嬉しいからもちろん教えるよ
でも僕と話すためじゃない
次にろうの人にあったら使ってほしい
そうなったら 僕の夢が叶うよ

そう言ってくれました

苦悩も知ることができた その後の私たちの交流

その後 退院した後も私たちは良い友人でした
彼が引っ越しをして遠方になってからは
手紙のやり取りを
彼が亡くなってしまう時まで続けられました

その中で
なぜ彼が手話を使わないのか
なぜ私に手話を使ってほしくなかったのか

ろうの方たちの歴史や苦悩
今の社会での生きづらさ
いろいろ知ることができました

彼の周りの笑い声を 彼が聴けないなんて
もったいない

私がプレゼントして喜ばれたもの
笑い声を 視覚と触覚で表現した手作りの工作
空の上にも持って行ってくれました

限界決めるな
なんでもできる

そうだよね~
がんばるよ
私の宇宙を目指していくよ



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