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【書評】「あえて言葉にしない」に宿るもの〜乗代雄介『それは誠』

小説が売れないとか文字離れだとか巷で囁かれはするけれど、日常生活で意思疎通に使われるのはLINEやX、インスタのDMなどSNSが主流だから、コミュニケーションが言葉そのものに依存する割合はいままでになく高まってきたと感じている。

この小説は、いまどきLINEをしない超レアキャラな少年誠の、高二修学旅行の回想録。両親不在で育ち、保護者はただの機能でしかないと見做すほどの愛情薄めの環境にいて、<友達は俺と僕と私だけ>と自嘲するこじらせ男子が主人公だ。交流ほぼ皆無であったクラスメイトたちと一緒に、修学旅行の自由時間に生き別れたおじさんとの再会を試みて、いくつかの危機を乗り越え友情を育み、きらきらした思い出を作れてよかった的な青春小説とも読める。でもそんな甘々なだけではない点が、この小説の面白さ。緻密な構成、秀才の蔵並や吃音の松、主人公がほのかな思いを寄せる楓ら、登場人物ひとりひとりの考え抜かれた背景に、作者の深慮と巧みさを感じる作品だ。

印象に残ったのは誠の言葉への執着心と、秀才蔵並との関わり合いかたの変化である。誠は<絶対に言葉通りにしか受け取らない>蔵並の態度は、相手の本心を理解するには不十分だと考え、密かに見下している。言葉にしないままでいるのには、それ相応の理由があると考えるからだ。言語化せずに曖昧なままの状態を誠は<表面張力>と呼び、無理に結論づけ理解しようとはせず、あえてそのままにしておくようにしてきたから。

この思いは、<20代半ばの女の先生>で<細くて美人で朗らか>な高村先生との電話で交わした言葉をあえてコンテクストを無視して取り上げて、先生に好意を抱く蔵並が混乱するのを楽しむ悪趣味さにもあらわれている。<あなたのことはほかならぬ僕がわかっているんだからいいじゃないかっていう、なんとも傲慢な態度>全開にした、こじらせ少年が出現するのだ。

誠は自分の都合で仲間を危険に晒すし、嘘と紙一重の発言で仲間を撹乱させもする。仲間に対して最も不誠実なのは、実は誠本人ではないだろうか。いっぽう、規則を破ってまで叔父に会いたい誠の気持ちに興味を抱いた蔵並は、誠の態度から「言葉にできない」には相応の理由があると悟り、誠をつぶさに観察するようになる。その誠実さと真剣さが周囲に伝わり呼応して、殻に閉じこもっていた誠は解放され饒舌になり、松を嘲笑した警官に棒を投げつけたときも仲間に救われ、叔父さんに会いたかったわけをわかってもらえる安堵と喜びを共有する。

人と人とが互いを理解する上で最良の術とはなにか。言葉の持つ力が独り歩きしがちな昨今だからこそ生じた問題に光を当てられた読後感、純文学を読む醍醐味を味わえた小説であった。


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