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情報について

朝はテレビをつけてニュースをみるという習慣をもっている我が家。ぼくは毎朝、あなたを抱っこしたりおんぶしたりしてリビングに行く。そのあとテレビをつけて、朝食を食べる。液晶画面に眠たい目をやり、のんべんだらりと耳を傾けている。
あなたもだいたいそんな感じ。

そうやって家庭内や学校など身の回り以外の情報に触れることでなにかしらを学んでもらえれば、と思ってはいるのだが、やはりそこからだけではメディアリテラシーを身につけることは難しいような気もしている。
メディアリテラシー、という言葉自体が難しいね。ぼくもそんなによくわかっているわけではない。

けれど世の中には情報はがあふれていてそれに引きずり回される傾向にあるから、情報の操り方や解釈の仕方についてはあなたにも学んでいって欲しいと思っている。

たとえば、世の中では紙からの情報ではなくオンラインの情報がメインになっているよね。
あなたより随分上の世代は、スマホやタブレットよりもテレビから情報を仕入れていたんだけど(いまでもそうかも?)。
けど紙媒体の情報とオンラインの情報には、優劣がつけにくい現状がある。それは、それを受け取る人間に大差がないからだと思っている。

オンラインと紙媒体のように時間をかけて制作された情報との大きな違いは、その即時性だ。
つまりあなたが得ている情報がいま現在のものなのか、昨日までの使い古されたものなのか、という違い。
やっぱり紙に落とされた情報というのは、あなたにたどり着く前にオンラインよりも時間がかかってしまうからね。

ただし情報というのは、はやければいいというわけでもない。もちろん情報の種類によっては、はやい方がいいこともあるんだろうけど。
それでも、「はやい」ということは情報のもっている貴重さの一要因であって、すべてではないんだ。

たとえば即時性のある情報はその正誤が怪しいことも多い。オンラインにはフェイクニュースだってあふれている。いや、これはテレビや本の情報でも同じか。
それ以外でも、オンラインであなたに流れてくる情報は自分では取捨選択できない、という側面もある。いや、これもテレビなどの情報でも同じことか。

テレビの方が情報を取捨選択できないような気もする。だってリモコンでテレビをつけたら勝手にワイドショーがはじまるし、聞きたくもないコメンテーターの意見が入ってきたりするし。
だけどオンラインの情報だって、AIが勝手にあなたの拾うニュースの傾向を判断して都合の良い情報だけを持ってきたりするよね。
ぼくはその方が怖い気もしている。
だって、意識しないままになにかが介在して、ぼくが得る情報を操作しているのだから。
ただしさっきも言ったけど、これはオンラインであろうがオフラインであろうが同じことだ。

つまり、情報というものは勝手に操作されてこちらに飛び込んでくるものだということ。社会の仕組みがそうできているということ。
情報は資本の流れの主要な要素だから、なにかを成し遂げたい人は情報を操るものだ。

だからこそ情報を正しく得ようと思うのであれば、受動的に生きていくのではなく能動的にそれらを拾いに行かないといけない。
テレビを、ユーチューブを、オンラインのなにかしらを鵜呑みにするな。
情報が流れてくるままに呑み込んでいくのではなく、自分で情報を拾いに行ったり、その内容を吟味するに足る知識を身につけていってほしい。

人は生きていく上でずっとなにかしらの情報に囲まれていく生き物だ。だからこそ発展してこられたという側面もある。
でも、人間が安易に情報を鵜呑みしてしまう傾向にあることと、オンラインで誰しもが情報を発信しやすくなった現状を考慮すると、情報の鵜呑みや思考力不足は客観的事実を知らずに別の誰かを傷つけることにつながってしまう。

ちょっと待て。今日の話はちょっと自己満足に近いな。
ん?いままでもそうか。
まあ、そこは見逃してください。

それで、あなたはどう生きていきたい?

自分に都合の良い情報だけを仕入れたり情報を無分別に受け入れ、あなたが自己満足できるように、思うがまま怒ったり泣いたりして生きていくのか。それはそれで、有意義な人生だろう。あなた自身にとっては。

けど、別の生き方もあるよね。
情報を得てもまずは吟味してから反応するようにして、まわりや自分にさえも流されず、落とし穴に落ちないようにしっかりと考え方を構築していくという生き方。

いやもうこうやって文字に起こした段階で、あなたにどんな生き方をして欲しいと考えているかバレてしまうんだけど。
だけどあなたにだけは、ちゃんと日々を振り返って欲しかったんだ。
ぼくがいなくなったときのことを考えてしまったから。

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