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お金について

ある日、みんなでスーパーマーケットに行ったとき。
ぼくはワインを買うために、売り場で立ったりしゃがんだりしてどれにしようか悩んでいた。
「たまにはこれくらいが飲みたいけど、ちょっと高いかな…」とかぶつぶつ言っていたら、あなたが「お金、おうちに200円くらい入ってるおさいふがあるから、かえったらあげようか?」と言ってくれた。

あなたはお金を大事にしていて、かつそれを自分が大切だと思うことに使おうとするおおらかさがあるみたいだ。
お金が社会にとって掛け替えのないものになるのは、まさにそんな姿勢があればこそだと思っている。

まずなによりも、お金は汚いものではなく生きていく上で大事なもの。だって生きていくために必要なものと交換できるんだから。
たまに「お金は汚れている」という言説を唱える人もいるけど、たぶん汚いのはお金そのものではなくそれを取り巻く人間の方なんだろう。

お金は天下の回りものという言葉があるように、みんな無理しない程度に使っていかないといけないと思う。
みんながみんなお金を貯めこんでしまうと、持ち分が少ない人が苦しくなっていくだけだから。

で、だ。
たとえばあなたにお金がないとき、みんながあなたのことを大好きでいつでもなんでもくれるとしたら?欲しいものがどんどん手に入ってくるとしたら?
もちろん騙したり都合のいいように人を使ったりしてはだめだけど。そうじゃなくて自分だけが持っているなにかを提供して、別のなにかを貰うというギブアンドテイクの関係にならないと。
んー、ちょっと、違いがわかりにくいな。
まあ相手を傷つける結果になりさえしなければ、いいんじゃないかな。…それもなかなか難しいか。

で、とりあえずそんなギブアンドテイクができる状況であれば、お金はいらないはずだよね。
けど人は将来のことを考えて不安になるから、それでもやっぱりお金は貯めておくだろうね。
そうだね、いつ仕事がなくなるかなんてわからないから、必要最低限のお金を貯めておくこと自体はやっぱり必要だ。
問題なのは「必要最低限」がどれくらいかってこと。そしてそれを決めるのはあなたの生き方次第だ。
あなたがどういう生き方に幸せを感じられるのか、ということだ。

ただしそれでも、現実にはお金を使う人がいて受け取る人がいて、税金として納める人がいて、そうやってお金が世界をまわっているから、ひとところににとどまっていないから、貧富の差がこれくらいですんでいると考えることもできる。社会のなかで再分配されているから。

それに、お金を使うことで人から笑顔を引き出すことだってできる。誰かへのプレゼントなんかはそのメジャーな行為のひとつだ。
ほかにも、美味しいご飯をご馳走することで楽しい時間を過ごすことだってできる。本当にお金に困っている人に寄付することで、その人生が好転することだってある。

一方で、たとえば自分で花を育てて花束をプレゼントできる人だったら?狩りをしてさばいて美味しいお肉を提供できる人だったら?
現金はいらないね。

思考がいったりきたりしているね。
きっとぼくにも明確な答えがないんだ。

いずれにせよ、大切なのはお金とかその数字のやりとりではないってこと。
って、なんて手垢のついた表現だ。「手垢のついた表現」という言い回しにも、手垢がいっぱいついている気がするけど。

お金にこだわるな。
自分の大切なことやものにこだわって、そのために必要なお金やを物資を使ったり手に入れることにこだわろう。
あのときのあなたのように。

と、ぼくはあなたがくれた嬉しさをかみしめながら、こんなことしか言えないです。

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