子どもの選択【読書日記】

メメンとモリ ヨシタケシンスケ(KADOKAWA)


先日本屋で、「一冊、マンガとか絵本じゃない本を買ってあげるから、好きなのを選んで」と、子どもにぼくは言った。
子どもはそれでもマンガ的な本ばかり探していたから、ぼくは耐えかねて「これ、いいと思うよ」って勧めた本。
まあ、こちらも存分に(すてきな)絵が置かれていたんだけど。

で、この本を子どもが立ち読みしたあとも、「これもいいんじゃないか」「これもいいかも」って、ぼくは何冊か勧めたんだけど。
わが子は最終的にこの本を手に取って、「この本、めっちゃいいことがかいてあるから、これがいい」って選んだ。

そうやって買って帰って読んでみて、そんな子どもの感性をすばらしいと思った。

たしかに、これは「いい本」だ。

生きていくことについての描写に、分け隔てがない。
たとえば、子どもが言いそうなことを大人に言わせたり、老人に当てはまりそうなことを子どもで描写したりしている。

けどそれは、そのとおりなんだ。
誰のなかにも老人や大人や子どもや思春期があって、だから人間はおもしろいんだ、と思う。

だからぼくは、内面ぐちゃぐちゃなぼくを許せるし、ふざけたあいつのことも、許せるような気がしている。

そんなふうに誰のなかにも複合的なものがある。
言葉だけでなく絵も含めてそれを表現することで、かつ、死を意図した生を表現することで、読み手にしっかりと、心地よいなにかを落としていく本だ。

もう一度言おう。
この本を「いい本だから」と言えた我が子の感受性は、すばらしい。

「思ってたのとちがうから、世界はつらいし、きびしいし、たのしいし、うつくしい。」

そうでしょう?
我が子たちよ。

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