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社会における人とのつながりと、信念という壁について

あなたがさっき食べたお米はだれかが育ててくれたおかげでそこにあったし、あなたが使っている鉛筆もだれかが作ったり運んでくれてたからそこにある。
だから、人はこの社会ではまったくの一人で生きていくことはできない。

そうやって社会は分業で成り立っている。それぞれの人間がそれぞれの仕事に特化して取り組むかたちで、効率よく社会が動いている。
だから物も増えて暮らしが豊かになる。

そもそも人間は対象を絞ってなにかに打ち込むほうが好きなんじゃないかな。もちろん、幅広くいろいろなことを手がけることが得意な人もいるし、それらの違いが人間のおもしろいところでもあるんだけど。
残念に思うのは、文化や時代によってどのようなタイプがもてはやされるかが変わることがあるってこと。その結果、収入も左右されてしまうしね。
本当はいろいろなタイプの人がいたほうがたのしいし、豊かな社会になるはずなのにね。

効率が重視されるこの社会では、人間を監視してうまくまわそうとする傾向が強くなる気がしている。さまざまな情報を仕入れてAIで分析し、マーケティングに役立てる、とか。
こわいのはそんなふうにシステマティックなものに覆われることで、社会全体が硬直したようになってしまうこと。決めつけや効率優先などの多数意見が押しつけられてしまうこわさ。
そうなると人の暮らしや考え方も硬直し、社会全体が融通の効かない脆いものになってしまうような気がする。

とにかくこんな社会で生きていくには、やっぱり人とのつながりを大切にしていくべきだと思うんだ。あなた以外のだれかが、あなたの生活を支えてくれているのだから。硬直なんてしている場合じゃない。

けどもちろん、苦手だと感じる相手もいるだろうね。
だけどその「苦手」ってなんなのかな。
あなたはなんでそう思うのかな。
相手のイメージがあなたの頭のなかで勝手につくられていたりしていないかな。

たとえば車を運転しているとイライラしたり人に暴言を吐いたり、攻撃しようとまでする人がいる。
車を運転していると自分が座っているところが自分専用の場所で、そのまわりも自分のものだと勘違いする。で、そこを守りたくて、防衛意識が強く出て怒ったり揉めたりするのかな。なんか野生動物のようだね。
人はそうやって自分のテリトリーを守りがちになる。だからそこに入ってくる人を攻撃したくなることがある。
相手にあなたを攻撃する意図なんかなかったとしても。

さらに言えば、人は自分がわかりやすいように、安心できるように物事を決めつけてみようとすることがある。「これはこうだ!」っていう信念をもっていたりする。
信念があるからがんばれる、前に進めるってことはあると思うよ。けど、信念がある故に世界の見え方が凝り固まったり、誰かと争ったり、生きにくくなることもあるんじゃないかな。
だから「信念を持たない」という信念もありなんじゃないかな。
矛盾しているようだけど。

自分のテリトリーや信念に縛られず、矛盾があったって自分のなかに置いておけるように、おおらかに生きていけるといいね。
ぼくもあなたも。

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