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言葉を置くこと、放つことについて

強い弱いの話でも言ったけど、あなたは感情をコントロールできずに相手をねじ伏せようとする言い方になることがある。
ぼくも含めて、世の中のおとなたちもよくそうなってしまう。

あなたが実際にそんな言葉のやり取りをするのは子どもたち同士でわーわー言ってるときくらいなんだけど、同じようなことをおとな同士は日常的にやってしまっている。
SNSの世界や職場の陰口で、おとながね。困ったもんだ。
特にSNSなんかは匿名でなんの責任ももたずに人を傷つける言葉を置いていたりする。

あなたが大きくなる頃には、もしかしたらそうやって匿名を盾に人を傷つけることが違法になっているかもしれない。
それが当たり前だ。いまぼくが生きている世界がおかしいんだ。そんなことが許されるなんて。

この前インターネットのニュースに「誹謗中傷はやめよう」というような記事があった。誰かがSNS上の言葉に傷つき、悲しいほど痛んでいた。
で、そのニュースに対するコメント欄に、「自業自得だ」というような誹謗中傷の言葉が置かれていた。

言葉は人を傷つける。それはもちろん会って直接放つ言葉だけじゃない。ただあなたの気まぐれで置かれた言葉も、信じられないほど人を傷つける。

そんな言葉を使う人たちは、傷つけることで自分の立ち位置を見出そうとしているんだと思う。ストレスの発散だったりもする。
そんなことですら意識できていない人がほとんどだろうけど。くだらないね。

子どもは無意識にそうしてしまうことがある。それは仕方がない。
自分の行いを振り返るだけのちからがまだ備わっていないのだから。
だけど、おとなになってもそれに気づけずに人を傷つけているのはくだらなくて、悲しい。
本当は成長していくなかでたくさんのことを経験し、省みて、人を傷つける自分を戒めていかなければいけないのに。

そうやってぼくやあなたがどれだけ悲しんでも、他人は変わらない。変えられない。

けれど自分は変わることができる。

あなたは自分の感情や言葉のセンスを磨いていこう。
そのためには、まずたくさんの素晴らしい物語たちに触れよう。そうして、いろんな感情を追体験するといいよ。

あとは、自分がもっている「好き嫌い」という感情をシンプルに自覚することもいい方法だ。

自分のなかでは正論を言っている気になっていたとしても、客観的にみたら人から自分の好きなものを嫌いと言われて腹が立って反射的に相手を攻撃しているだけだったりする。そんなふうに自分やそれまでの生き方を守るためだけに、誰かを批判していることが多いから。

だから言葉を放ったり置いたりする前は、冷静に考えてからにしよう。
あなたが言われたら嫌な言葉は、誰に対しても使っちゃだめだ。このとき、立場は関係ないからね。
「芸能人だから言われるのも仕事でしょ」とか「あいつの日頃の行いが悪いから言われてもしょうがない」とかは関係ない。
だってあなたが使う言葉は、相手の立場に関係なくその人に突き刺さるのだから。
言葉は人を殺めることもあるのだから。

言葉のちからを過小評価しないように。
それは相手だけでなく、自分を殺めることもある。
だからたまには、言葉のない世界に浸ってみよう。
ただただ身体を動かす時間とか、言葉による歌唱がない音楽を聴くとか。

とか言いながら、そんなおそろしいちからをもつ言葉というものを使って、ぼくはあなたへの遺言を書きなぐっています。
熟考しつつ、自分を諭すように。

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