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家族について、いまのあなたは?

あなたが一生懸命漫画を読んでいる横で、ぼくはスマホでネットニュースを流し読みしていた。
また有名人が離婚したらしい。ぼくにとってなんの関係もない出来事だ。
けれどその人が「離婚して子どもとも別れたけど、良い関係を保てている」というようなことを言っていた。

まず大前提として、ぼくはこの人が間違っているとか正しいと言いたいわけではない。いろいろ考えて出した結論なんだろうし、人生のあり方としてそのこと自体は別に悪いことでもなんでもない。

ただ、自分に当てはめるとどうか。あなたと別々に暮らしたとして、それでもなお「良い関係を保てている」と思えるか。
うーん。無理な気がする。ぼくの場合、「良い関係」というか「都合の良い関係」になる気がする。
日々のめんどくさいことには触れないで、かわいいところだけをみちゃうような関係になる気がする。

一緒に暮らすと、トイレの臭さや鼻水、寝起きの整わない顔、不機嫌や八つ当たり、そんなものたちが付録としてついてくる。
それらがあることで相手を愛おしく感じる人もいるし、逆に不快に思ってしまう人もいるだろう。
前者であれば同じ空間で生活することでより愛着がわくけど、後者のようなタイプの人はしんどいかもしれない。

もちろん同じ空間で生活していると、そういうどろどろしたものだけじゃなくてきらびやかな幸福感もある。
たとえば一緒に寝ているときにあなたが寝ぼけてくっついてくれること。
その日にあった出来事を何気なく吐き出すことで、お互いに少しだけ心の荷物を軽くしてあげられることもある。
ただいるだけだからこそ生まれる、ほんわかした感情もある。
そんなふうに、同じ生活空間にはいろんなものが散りばめられている。

家族という制度の成り立ちや存在意義については、文献に当たったりしてちゃんと考察しないと正確なことは言えないけど、現代社会の多くで一夫一妻制が維持されているということは、社会にとってなにかしら有用だったからだろう。
もしくは人間の本能が、特定のひとりの人と互いに協力し合うことを求めているのかもしれないけど。

けれどそのかたちはやっぱり、唯一絶対のものがあるわけではないと思うんだ。
あくまで制度である家族という枠組みは、そのあり方としてたくさんの選択肢があってもおかしくないんじゃないかな。社会の仕組みが変われば、制度である家族のありようも変わるはずだ。
たとえば、家族には必ずしも子どもがいなきゃいけないわけじゃない。
異性婚である必要なんてない。
つがいとなる相手がいなきゃいけないわけでもないはずだ。

一人ひとりが考えてつくっていけば、家族はどんなかたちでもいいと思う。
ただし、人の考えには間違いもある。そもそも人の考えなんてたかが知れている。
だから一生懸命考えて出した結論に見えても、実は汚物を見たくないとか楽をしたいという思いを後ろに隠して、ご立派な理屈を立てている場合だってあると思うんだ。
それでもやっぱり、間違えていたり誤魔化したりしていたとしても、一人ひとりの選択は尊重されるべきだと思うんだけど。

で、ここからはぼくの話。
ぼく自身は、きれいなものもきたないものも両方とも抱えながら生きていくべきだと考えています。
そこには当然、自分のくそみたいな自己中心的な考え方も含まれているんだけど、それに無自覚にならないように生きていきたい。

そしてなによりも、夜泣きするあなたを抱っこしてあやしていたように、不安や心細さを受け止めながら、あなたが毎日笑って暮らせるようにしたい。
人は不安や苦しみを乗り越えながら大人になっていくと思うんだけど、その過程にぼくは寄り添いたい。
そうして視野や世界が広がれば、しんどさを乗り越える方法も見つけられるはずだ。家族の外にだって目が向くだろう。
そうなったら、ぼくの役目は終了だね。

ところでいまのあなたは、どんな家族をつくっているのかな?

もしくはどんな家族をつくりたいと思っているのかな?

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