物語が残るということ[読書日記]

ハーメルンの笛吹き男 阿部謹也(ちくま文庫)

「ハーメルンの笛吹き男」伝説の成り立ちを広く、深く探求していく作品。その過程はほとんど物語のようだ。

伝説には少なからず背景があり、「ハーメルンの笛吹き男」の場合にも中世ヨーロッパの社会構造が含まれている。
「子どもたちの失踪」が当時の植民や移住に、当時の市井の人々の世界観(現代の我々と比べれば、はるかに狭い世界像)までも視座に入れている。
また、「笛吹き男」の正体を当時異端、悪魔的とされていた遍歴芸人と見る。
「鼠取り男」との結びつきについても、時代背景、害虫被害が現代とは比べ物にならないほどのもので、それに苦慮していた人々の生活をもとに考察されている。

そしてそれは、当時の人々の心奥まで手を伸ばしていく。
その結果、伝説が語り継がれるようになったことも炙り出す。

ひとつの物語、伝記が、伝説となり語り継がれる物語となる。
その過程においては、人々の迷信的態度、宗教家が目論む教義の伝播、などが歴史を通じて糊付けされていく。
そうやって人々に物語が根付く。
そのとき、その伝説が歴史的事実なのか虚構なのかは問題ではないのだ。
なぜ語り継がれてきたのか、その過程こそが大事なのだ。

そんな過程を詳細に研究した良書。

そしてそこには、人間だからこそもつ普遍的な感情のかたまりも、ある。

人はどうしても今いる自分の世界の視点で物事を捉えて判断してしまうが、その事象が起こった背景まで知った上でないと、本来は判断などできないのだ。

「それほど大きな出来事でもないことが、その時々の人々の心のなかに深く刺さり、沈殿してゆくとき、それは伝説として語りつがれてゆく」p.117〜118

「学者がどのように解釈し、解明しようとも、〈ハーメルンの笛吹き男と130人の子供の失踪〉の伝説はたとえ原型からどんなに変貌しようとも、忘れ去られることはないだろう。親が成長した子供を旅立たせ、親しい者同士が別れを告げ、あるいは住みなれた土地を去って未知の国に旅立ってゆく時、あるいは現在の生活に絶望した親たちが子供に美しいバラ色の未来の国を期待している時、このようないつの世にも変わらない情景が見られる限り、人々の胸の奥底に生きつづけることだろう。また人間が他の人間を差別の目で見ることをやめない限り、〈笛吹き男〉はいつの世にも登場するだろう」p.290〜291

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