「正論」について
ここまで何度も、あなたに向けて言葉を置いてきた。
けれどぼくはずっと、うだうだと正論じみたことを言ってきた気がする。
そうやってついつい正論(と自分が思うこと)を言いたくなってしまうのは、人間の性かもね。
みっともなくてごめん。
ぼくは本当は、常識や正論というものにうまく馴染めないんだけど。
人から「いままでそうだったでしょ」とか「あたりまえでしょ」とか言われてそれをなぞるように指示されると、無性に反発したくなる性格なのに。
それなのにどうしてそんなことばかり言ってきたんだろう。
困ったものだ。
それでもまだまだ言いたいことがある。ぼく亡き後のあなたを想って。
たとえばぼくが、きみが思っているよりもはるかに汚い存在だったら。その事実をきみが知ったとき、ぼくは今までのように平然と偉そうに書き記していくことができるのだろうか。
いまぼくは「たとえば」とか言って予防線を張ってみたけど、たとえばもなにもない。ぼくは汚い存在だし、だめな人間なんだ。
しかも最悪なのは、ぼくがだめなところを隠して偉そうにしているところ。そして、それをやめられないところ。
そんなぼくをあなたはどう思うのかな?
できれば、こんなぼくでも受け入れてほしい。押しつけがましいんだけど。
それにぼくがだめだからといって、あなたがだめだというわけではないのだから。
あなたは生まれたときからすばらしい存在で、もう息をたてているだけで神々しかった。…そんなこと言われるのも気持ちいいことではないかもね。ってしたり顔で、わかったように言われるのもきっと嫌だろうね。…って言われること自体が……。と、延々とぼくの言い訳はループしていく。
それでも、まずはあなたの存在の本質的な貴重さを覚えておいて。
で、次の話。
大人だからといって、みんなちゃんとしているわけじゃないってこと。と言うか、大人のほうが子どもより世の中のしきたりを都合よく使いまわしているとさえ思う。
子どものほうが世の中の仕組みに拘束されてしまいやすい。
一方で大人になると自分のことを守ってくれるものが少なくなるから、「子どもはいいよな」とか言って自分で自分を守りにいくようになるんだ。
その延長に、お酒を飲むことや誰かを傷つけること、人を裏切ることを正当化することがある。その中身は子どもと大して変わらないくせにね。
だからね。
あなたが大人になっていくなかで、「だめだ」と思う大人がいても許してあげてください。
それはかつてのあなたと同じ「子ども」なのだから。
そして、もしあなたが大人になった自分を嫌いになったのだとしたら、そのときも大人のあなた自身を許してあげてください。
大人になったあなたのなかにいる子どもの部分を、大目に見てあげて。
そうやって自分にも人にも優しくなれるといいな。ぼくも含めて。
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