癖
わたしの上司、スミスは沢山の職場を渡り歩いてきた。
これがお褒めの言葉か将又皮肉か。
スミスはよく言う。
『苦しいのはあなただけじゃない』『みんなそう』そんなもんなのかと刷り込まれてきた。
わたしが困っているのは些細なことで、誰も気にしていないことなのだ。そんなこと考えていたらきりがないのだ。
…誰も気にしないようなことが気になるのが困っているのに。自分の意思じゃどうもできないことだってあるのに。
また別の話。
『あの人は◯◯だからこうしちゃう』
この言葉を放つ時、スミスは大抵笑っている。
◯◯の中には様々な括りが入る。
女、男、若い人、お年寄り、未婚既婚バツ付きその他。
そもそも全てが良い意味では使われないが、時には酷い偏見や差別的な言葉が入ることもある。
そしてわたしはその括りに入る。
わたしはスミスに否定されないように、今までのその“癖”を抑え込んだ。何とかして否定されるまいと思った。
陰で自分をネタにされたくなかった。
わたしがいまスミスから聞かされているように、いずれわたしも、どこかでスミスの話のネタになるかもしれない。
それは自意識過剰かもしれない。
そして、“括り”の中にいる人たちに対して、わたしは“違う”と思っているのだろう。最低だ。
スミスの放つ言葉の中には、診断がつけば括られるものもある(そうではないものももちろんある)。
括るための診断だと思う。そしてそれでいいと思う。
わたしには括られているものもある。わたしは診断がついて生きやすくなった。生きづらさに名前をもらったのだ。
ただ最近、先輩と話をしていて、退職に向けて準備をしていく上で、『あ、別にわたしはわたしのままでいいんじゃん』と思えた部分もある。
『スミスに怯えなくていいじゃん。』
こう思ったのは、きっともうスミスと関わることがないことへの安堵かもしれない。いつかどこか、知らない場所でスミスが放つ言葉など、どうせいまのわたしには知る由もない。わかってはいたが、現実味を帯びてきた。
わたしの“癖”はわたしのもの。
貴方の“癖”は貴方のもの。
わたしの“癖”も貴方の“癖”も、同じところも違うところもある。
ベン図でいう共通部分はたまたま“括られた”だけで、部分集合はそれぞれ違う。
たまたま同じ名前がついただけ。
共通部分が否定される事ではないし、部分集合だって個性だ。
当たり前のことをついつらつらと書いてしまった。
そもそもその為のベン図だった。
でも言葉にしてすっきりした自分もいる。
何を誇って、何を大事にして、何を犠牲にしなければならないのか、まだまだ子どものわたしには分からない。
とりあえず明日も、わたしがわたしでいられるように、わたしの大事な“癖”と一緒に眠りにつこうと思う。
明日のわたしも大事な“癖”と一緒に生きてくれ。
わたしを殺さないでくれ。
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