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やまのうちの「これまでの人生」と「これからの人生」

こんにちは!むすびす株式会社で採用担当をやっています。
「やまのうち」です。
採用というお仕事をしていると、やはり皆さんの人生を左右する部分をお手伝いするので根掘り葉掘り「過去」「現在」「未来」すなわち「人生」を聞く機会が多いんです。

でもこれってフェアじゃ無くない?????

普通、自分の人生含めて、弱みとか強みをよく知らない相手に聞かれて、話すの嫌だよね。私だったら絶対嫌です。
だからこそ、私自身の開示をしておくことが大事なのではないかと思いました。
なので、えいや!っと話すのではなくて、ありのままに書いてみることにしました。
大きく分けて
▶生まれてから社会人になるまで
▶社会人になってから
▶これからの会社と私
で書き綴っていきます。約5000字というとんでもねえ文字量なので、興味のある部分だけ読んでいただけると嬉しいです。


1-1 8年間のプリンセス生活

STAP細胞はありまーすポーズ(古)を先取り

銀行員の父と看護師の母の元に第一子の両家の初孫として千葉に爆誕しました。
両親と両家祖父母の期待と愛情を一身に受け、本当に宝物のように育てられました。アルバムや動画を見返しても、私を見る大人たちはみんな笑顔。
小さい頃からディズニー映画を観ていたことも相まって、本当に自分はプリンセスだと思っていました。
私自身がきちんとお利口さんで、皆を笑顔にし続けられれば、
プリンセスのように、なりたい物には何でもなれる。欲しいものは何でも手に入れることが出来る。やりたいことは何でもやらせてもらえる。と感じていた部分があると思います。
それと同時に自分の存在で人を喜ばせることが私の信念の中心になっていったと考えます。

1-2 一人っ子生活の終了

人生8年目にして姫生活に大事件が起こります。妹が生まれます。

妹をガン無視する背中

8歳にして自分は唯一のプリンセスではなかったと悟るわけです。一身に受けていた愛情と期待が半分ことなったことを受け入れるまでにとても時間がかかりました。ディズニーからプリンセスが同居する話は教わってない…。年も離れていることもあり、さぞかし妹を可愛がると思っていた大人たちもびっくりする位、私は妹に近寄りませんでした。(今になってめっちゃ後悔している)わかりやすく拗ねるので、親や親戚は気を遣ったと思います。「お姉ちゃんなんだから。」と言われたことは一度もありません。

私はどうしたって家ではなんでも半分こなのだから。と外の世界に視野を広げることにしました。外は妹と私を切り離して私を見てくれる。自分の存在を対等にジャッジしてくれるのでは?と。
「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」と、マリーアントワネットが言ったとしたら、私は「家がダメなら、外ではっちゃければいいじゃない」と言いました。
そんなわけで、家での自分と外での自分に結構なギャップが生じます。でも、外の世界での人の喜ばせ方がよくわからなかったこともあり、自身をリトマス試験紙のようにして、色んな行動をして良し悪しを判断していきました。

1-3 暗黒黒歴史の中学校生活

そんなこんなで、良い行動も、少し頭がおかしいような行動も含めて、自分がやってみたいことを自由にしすぎて、空気をよむことが一番大事とされる中学校生活でクラスの女子にめっちゃ嫌われます。

【完全に中学時代が終わりを告げるきっかけになった3つの行動】
・いじめをしている人に殺虫剤をかける
・聞こえるように悪口を言われたから椅子を投げつける
・いじめられっ子の不登校の子が学校に来た時に全力で話しかけて、ノートを貸す

言っていいこと/悪いこと、やっていいこと/悪いことをがっつり教えられた3年間でした。今思えばこの期間があったからこそ、人の気持ちや自分の行動が及ぼす影響力の大きさを知ったような気がします。

私が何をやってもあなたには関係ないでしょ?だって、私は自分が正しいことをしているんだもの。と考えていたけど、正しいことをしたとしても行動がやりすぎると良くないこともここで知りました。
人を喜ばせることは、人の気持ちを考えないといけない。そこにアプローチして行動することによって、自分も愛されて対価が発生する。
そう出来るように人を楽しませられる面白いユニークな人間になりたいとここからめっちゃお笑いや音楽などの文化的なものにハマります。

1-4 文字通りの高校デビュー

画質が時代を物語る

高校は地元の子が誰一人いない離れた場所に入学しました。
一旦めっちゃ楽をしたかったんです。スポーツの推薦で入れたし、大学もエスカレーターだし。人生をちょっと楽にしたかった。ここが私の人生の再スタート地点です。
ただ、スポーツ推薦で入学したのに1年生の夏頃にあっさり部活を辞めました。原因不明の立つことが困難になるケガ?病気?をしました。ただ、部活を辞めた瞬間にあっさり治ったので心的なものだったのかもしれないなぁと思います。上下関係がハッキリしていて、1年生はコンビニに行っちゃいけないとか理不尽なことも呑み込まないといけない。そういう意図や意味がないことを呑み込んで生きていくことが出来ないと判断した瞬間でもありました。
部活を辞めて、気持ち的にも体力的にも発散できる場所がなく、少々窮屈に感じていたころに、同じクラスの男子に演劇部に誘われます。
ディズニーで育ち、ミュージカルや演劇に興味があった私は即入部しました。舞台であれば自分を解放出来る!ここでズブっと物語をつくる「役者」というものに魅了されます。

1-5 楽々自堕落大学生活

大学は付属高校の学内試験でほぼエスカレーターで入学しました。
お気づきでしょうか?私、高校も大学も受験勉強ってことをしてないんです。やばいです。ゆとり世代の中のゆとりモンスターです。
そんな人間が大学に行ってやることはこんな感じ。

・自主休講:休める限界まで自分の判断で大学をサボる
・アルバイト:きちんと頑張った分だけお金がもらえる
・お金を使う:もらったお金を速攻溶かす

すーぐ遊びに行っちゃってた

いや、大学行ってないじゃん。そうなんです。行ってないんです、ほぼ。
だから大学時代の友達とかほぼいません…。高校からエスカレーターで入ってきた仲間がいるのでつくる必要もなかった。大学辞退はお利口にしていないといけなかった家から離れて一人暮らしをしていたので、本当に自堕落な生活をしていました(反省)

そんな中でも「アルバイト」と「演劇」は楽しく一生懸命やっていました。
勉強は目に見えて喜んでくれる人がいないけど、アルバイトと演劇には目の前に喜んでくれる人がいる。

彼氏にゼクシィを見せつける女役

特に演劇は自分の人生で大事な経験になりました。他人の人生をを自分で考えてなりきってアクションをしていく。なぜそんな動きをするのか、どうやってこの人は息をするんだろう。台本にない背景まで考えることの奥深さが個人的に大ヒット。しかもそれを見て、笑ったり、何かを考えてくれる人がいる。
私はリアルに自分の目の前で人が感動してくれる場にいた方がいいんだなとこの経験と自己分析で気づきます。

2-1 就職活動

どうせ働くなら楽しく働きたい。だって自分の人生だし。と考えて、就職活動の軸は【自分の企画・創造したもので、人を感動させることが出来ること】に決めました。
演劇をやっていた経験から「悲しい」「ムカつく」というマイナスの感情も尊い人間のものだと感じていたので、どんな形でもいいから人の心を動かすことに携わりたいと考えて就職活動をしていました。


入社!

そこで出会ったのが、当時はアーバンフューネスコーポレーションで現むすびす株式会社。
100人いれば100通りの葬儀を通して、お客様の幸せのお手伝いをしているという部分が個人的にヒット。お葬式という場は沢山の感情が渦巻いていて、その感情を肯定出来るような場をつくりたいと考えました。
あとは社長の「人間はどうしたって幸せにむかって生きている」という言葉がグッサリと胸に刺さり、それやりたい!って思い入社しました。

むすびすに入社した時のことはこちら↓


2-2 社内転職ジプシー

そんな感じで意気揚々と入ってきたのに、実際入社して私はお葬式の企画のお手伝いはほぼしたことがありません。

経歴的には…
葬祭ディレクター⇒葬儀事務⇒地域営業⇒お寺出向⇒再び地域営業⇒WEBマーケティング⇒採用という感じです。

入社当初は超問題児でした。葬儀社に入ったのに葬儀の仕事をやりたくない、意味がわかりません。(その時に私をみていた人達には本当に謝りたい)

ただ、どーしても自分の存在を通じてやりたいことが入社早々に見つかってしまったんですね。
それは、今生きている人達が後悔なく自分を大事な存在だと思って生きてほしい。生きているうちに幸せを感じてほしいということです。


地域営業で得たスキル:餅つき

それを発見出来たのが、当時葬儀ディレクターとの研修と平行していた「地域営業」でした。
地域の方に「相談先として私たちがいるよ」ということの周知だけではなく、イベントを開催したりして、地域の高齢の方同士のコミュニティの場をつくったり、ただ単に楽しい場を提供したり、時には人生相談に乗ったり、乗ってもらったり…。お客さまだけど、年の離れたお友達が沢山出来たお仕事でした。

そんな感じでお仕事をしていたら、あれよあれよと次のステップとして、
お寺でお墓を売りながら法要の企画提案や、葬儀後の相談を受けたりしていました。
そして本社に戻りWEBマーケティングチームへ。自分の今まで聞いてきたお客様の声や経験を活かして、もっと多くの人に生きている間に出来ることや、困っている時に必要な情報を届けられるように考え、記事を作成するオウンドメディアの運営をしたりしていました。

2-3 採用担当者なう。

同期のひとり

そんな感じの経緯を経て、今現在は採用のお仕事をしています。
採用も結局「生き方」を一緒に考えていくお仕事。ライフイベントということで全てがぜ~~んぶ繋がっているんですね。
採用のお仕事をやっていく中で、葬儀のお仕事についても理解がだいぶ変わりました。(これはまた別で書きますね)
働くってすっごい長い時間を使うので、結局生きることなんですよね。
なので、皆さんの生きていくうえで大事にしたいことをとことん聞き、果たして弊社で実現出来るかを一緒に膝を突き合わせて考える。
そのために必要な情報は嘘をつかずにきちんと渡す。
それが全部人の人生を決めたり、左右することになるので大変な仕事です。
でも、その人の人生に何かしらのヒントや気づきがあって、少しでも豊かになったら嬉しい。
そんな瞬間に、うん、私のやりたいこと出来てる。って思うわけです。

3-1 これからの人生プラン

会社に入ってハワイ大学名誉教授の吉川 宗男先生の講義を受ける機会をいただきました。
その中で「自分の墓碑銘」を考えるというホームワークがあり、今ではそれが私の人生の指針となっています。

自身の人生を主演として生きながら、
多くの人々の人生を彩ったアンサンブル・キャスト

自分の人生(=自分の物語)は、大好きな演劇や映画の物語のようにワクワクするものでありたい。責任をもって自分の物語の主演俳優として生きていたいし、人から見られた時に面白い物語をもった人だったねと少しでも感じてもらえる人間でありたい。
一方、どう他の人の人生に関わっていくか?を考えた時に、他人の人生(=他人の物語)の主役に私はなれない。その人の人生はその人のものだから。と整理をしました。なので、少しでも他人の人生を彩る役者として、人をワクワクさせられる人間でいたいと思いアンサンブルキャストという言葉を使いました。アンサンブルキャストはひとつの演目で老若男女様々な人物を演じる人。その人の人生にとって、私が関わることでその主役をどう輝かせられるのか、その人の世界観をどうやって表現するのかを考えて一緒に生きる人間(=俳優)になりたいです。

私はこれからの未来、誰かの人生を彩る存在になりたい。
少しでも、めっちゃ小さな脇役でもいいから、丁寧にあなたの人生の中での役を全うしたいと思っています。時には善人かもしれないし、時には悪役かもしれない。でも、あなたの人生を少しでもより素敵な物語に出来るお手伝いがしたいと思っています。
そうやって採用でも皆さんと関わっていきます!
そうすることで、感動の輪が広がって行ければ素敵だな。。。

長々とお伝えさせていただきましたが、
こんな私です。お会いしてお話するとき、こんなやつなんだと思っていただければ。どうぞよろしくお願いいたします。

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