「君は年間100冊の本を読むか?」と迫られて ~約40年前の新人研修で思ったこと、思い直したこと・その2
大昔の某在阪放送局での新人研修時代の話、2つめ。
前回も書いた各部副部長クラスを講師とした座学。今回はテレビ制作第1部(だったかな)の副部長の話。後から聞いた話ではこの副部長は変わり者として局内で有名な人物だったみたいですが…。
彼は冒頭でこう言いました(みんな冒頭で何か“一発かまして”来るんですよねw)
その年の十数名の新入社員のうち、手を挙げたのはたった一人でした。ちなみに彼女は社内結婚して退職した後、現在は翻訳家になっています。僕はどうだったか? 多分年間 20~30冊じゃなかったかな。
その有様を見て、その副部長はこう続けました。
これには僕も驚きました。
おいおい、そんなことで軽蔑するのかよ。110冊だったら軽蔑しないけど 90冊だったら軽蔑するわけ?
確かに本を読むことは良いことだと思います。たくさん読めばそれなりに蓄積する学びもあるでしょう。でも、読むか読まないかで人間の値打ちが決まるみたいに言うのはどうなんでしょ?
これは前回も書いたことなんですが、物事をひとつの指標だけで判断できるのであれば、人生はとてもイージーなものになります。ひとつの指標だけで測って、「はい、この人は尊敬できる人」「この人は落ちこぼれ」と決めつけて行けば良いのですから。
でもね、これも前回書いたことなんですが、「時間を守れないルーズなやつなんだけれど、番組作らせると面白いものを作るんだよ」とか「ろくに挨拶もしないんだけど、発想がぶっ飛んでて、あれは天才だよ」なんて人も実際にはいるわけです。
いま考えると、この変人の副部長がドラマを作らせてもらっていたのも、まさにそういう観点からではないのでしょうか?
テレビマンの中には「あいつはめちゃくちゃ読書家だけれど、映像作りには才能がなかった」という人もいれば「あれだけ本を読まないやつも珍しいけど、番組作らせると面白かった」という人もいます。
それらの人をたったひとつだけの指標で切り捨ててしまわないことこそがいちばん大事なのではないでしょうか。
前回の「視聴率が全て」も今回の「100冊読まない人を軽蔑する」も根っこは同じです。
人間は、人生は、社会は、そんな単純なものではないのではないかというのが、長年働いた結果の僕の感慨です。
言い切ることはカッコいいことです。そして、カッコいい言説が部下や上司を動かして行くというようなことも、仕事をする上では往々にして見かけられることではあります。
でも、そのために多くの人を切り捨ててしまうのは、あまりに無駄の多い働き方だと僕は思うのですが、間違っているでしょうか?
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前回(その1)はこちら:
同じようなことをここにも書いています:
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