「視聴率とは何か?」とカッコつけて教えられて ~約40年前の新人研修で思ったこと、思い直したこと・その1
僕が大阪の放送局に入社したのは昭和の末期、大雑把に言って40年ほど前です。そんな大昔なのに、新人研修中に聞いた話ややったことなどでいまだに憶えていることがいくつかあります。
中にはすごくためになって、人生の指針と呼んでも良いほどのものになったこともあるにはあるのですが、逆に後から考えたらあれは何だったんだろう?みたいなことも少なくありません。
ここではむしろそういうことを何回かに亘って書いて行きたいと思います。いや、なに、反面教師だって立派な教師ですから。と言うか、すべての事象が僕らがものを考える素材なのですから。
そして、そんな中から僕らがこの会社で、この業界で、この国で働くことの問題点を提示できたらと思っています。
今回はその初回です。
当時の僕らの会社の新人研修には座学と仮配属による OJT みたいなものとがあり、座学にもいろんなパタンがありましたが、その中に各部の副部長クラスが来て話をするというのがありました。
まず現れたのはテレビ編成部の副部長でした。彼は冒頭でこう言いました。
「視聴率とは何か。視聴率とは…」
そう、ここで思いっきりタメて、長い間を取ってこう続けたのです。
「視聴率とは全てであります」
うむ、自分で自分に酔ってるかも。
そのときは取り立てて何の感慨もなく聞いていましたが、研修が終わって配属され、何年かを経て異動もして、いろんな仕事をしているうちに、あれは一体何だったんだろう?という気がしてきました。
視聴率が全てって、おかしいでしょ?
そもそもひとつのものが全てであるはずがありません。ひとつのものは、大きな要素であるかもしれませんが、所詮ひとつの要素でしかないはずじゃないですか。
仮に視聴率が全てであるなら、編成マンの仕事はものすごく簡単です。視聴率の低い番組を捨てて、視聴率の高い番組を残せば良いのですから、学生アルバイトにだってできます。でも、現実には
みたいなことを、あれこれ考えて、思い悩みながら決めて行くのが編成マンの仕事なのです。
それを「視聴率が全て」と言い切ってしまうのは楽をするためでしかありません。
物事をひとつの指標だけで判断できるのであれば、人生はとても楽になるはずでしょう。
例えば、もしも「世の中、お金が全てだ」と割り切れるのであれば、ただ儲かるものだけを追って、儲からないものを切り捨てていれば良いのです。生きることが非常にイージーになって来るでしょう。
例えば、「時間にルーズなやつはダメだ」とか「挨拶ができないやつはダメだ」とかを「全て」の指標にするなら、ただ約束の時間を守るかどうか、「おはようございます」と言うかどうかだけをチェックしていれば良いのであって、とても簡単な人生です。
でもね、「どんなに言っても時間を守れないルーズなやつなんだけれど、でも番組作らせると面白いものを作るんだよ」とか「無愛想でろくに挨拶もしないんだけど、話聞いてみると発想がぶっ飛んでて、あれは天才だよ」なんて人も実際にはいるわけです。
そういう人をも上手に拾い上げていくのが編成マンの仕事、いや、あらゆる仕事の、あらゆる生業の基本なのではないでしょうか。
だから、「視聴率が全て」なんて言うのは、カッコよく聞こえるかもしれませんが、やめましょうよ。
「視聴率が低いから打ち切った」と言えば、プロデューサーは反論できないでしょう。でも、それは方便にしているだけで、番組を打ち切るか残すかはそんな単純な判断ではないというのが僕の偽らざる実感です。
表向きは視聴率の問題にしていても、打ち切りにするのは多分それだけの問題ではないのです。
そこのところをちゃんと汲み取って伝えるのも仕事だと思うのです。それをちゃんと伝えてやらないと、プロデューサーは意欲を失ってしまうかもしれません。
あのとき「視聴率は全てであります」とカッコよく吐露した副部長は、本当はこう言うべきだったのではないでしょうか。
「視聴率はいちばん重要な指標です。でも、それが全てではありません」
と。大事なことはむしろ「それが全てではない」ということなのではないでしょうか。
キャリアを積むことで、ぼーっと聞いていた話の歪さが見えてきました。働くってそういうことなんじゃないかなと思います。
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続き(その2)はこちら:
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