アメリカ生活の最初の頃🇺🇸
この間あげた『自己紹介』でも紹介したように、私は日本の学年でいうと小5から中3まで、アメリカの学年でいうと6年生から10年生まで
カリフォルニア州のサンディエゴ
という場所に約4年半住んでいました🐻
サンディエゴはカリフォルニア州で有名な
ロサンゼルスから車で約2時間南に行ったところにあります。メキシコ🇲🇽の国境にも近いです。
なぜこれを書いてるかというと、
幼少期の海外生活っけどうなの?という質問をよく受けるからというのと、
もし私の両親のように赴任の際に子供を連れて行くべきか迷う方がいましたら、少しでも参考になれば良いなと思って書いています。
結論からいうと、約4年半アメリカに住んで
良かった
です。
もちろん私の意見意外にも賛否両論あると思います。あくまで、一個人の意見として聞いていただけると嬉しいです。
私が小さい頃、父は忙しく、呼び出されて真夜中に会社に行くこともありました。平日は特に、すれ違いの生活から父の顔を見ることはありませんでした。お爺様がお亡くなりになられて、さらに休日も父が忙しく会えなくなった頃の話です。あれは多分、小学4年生の終わり頃、両親に兄と集められました。久しぶりにみた父の顔は疲れ果てていました。それは鮮明に覚えています。
それから切り出された話が「海外赴任」でした。私と兄が行きたいかどうか両親は意見を聞いてくれました。
私はアメリカに行けば少しは父と長い時間過ごせると思い「行きたい」と即決しました。
一方で兄は「行きたくない」と言っていました。兄はその時中学生で、受験してやっと手に入れた学歴でしたし、友達ともとても仲が良くて離れたくないとのことでした。
私の知らないところで、両親と兄が話したのだと思いますが、先に父がアメリカへ、そのあと3人で時期を見て追いかけるという形になりました。
((アメリカに移住する際のチビえなです))
アメリカについたのは7月の後半、
しかし、すぐに学校!というわけでもなく、
アメリカの学校は8月後半からだったので
1ヶ月間言語や文化やルール、全てが日本と異なる「海外生活」に慣れることに専念しました。
その1ヶ月間はもう、天国でした。😇
父は18時には帰宅してくるし、兄も私も遊ぶ相手がお互いしかいないので、たくさん話して、たくさん遊んで、母も見守っていてくれる
週末には家族で旅行に数えきれないほど旅行に行って、ディズニーランドとカリフォルニアアドベンチャーの年パス(1番良いやつ)まで買って
あぁこれが家族かぁって
小学生ながら思っていました。
もうずっとこの生活が続いて欲しい
何度そう思ったかわかりません。
私の地獄が始まったのは学校が始まってから。
私の地域の現地校は↓
日本/アメリカ
小学校: 6年間 / 5年間
中学生: 3年間 / 3年間
高校 : 3年間 / 4年間
こんな感じで日本と違うというのと
8月から新学期ということと
私の誕生日の関係で
日本を立った時は小学5年生でしたが、
アメリカでは 6th grade (中学1年)
ということになっていました笑
元気よく行こうと思ったら、
もう何言ってるの?レベルで笑笑
逆に笑えてきましたww
私は物心つく前からアメリカに行くまで、英会話をネイティブの先生に教わっていましたし
幼稚園では英語のスピーチの代表に年少の頃
から3年間1人だけ選ばれていました。
なので、まぁ苦労してもそこまでだろうw
などと安易な考えをしていました。
自分の生まれたYear は何?って言われても
earにしか聞こえなくてもう
何いっとるんじゃこの人!
って思ったり…
Let me show you とか I’ll show you
のShow youが醤油にしか聞こえなくて
もうバカ極まりないですよね
もう今では笑い話ですが、あの時は
もう毎授業泣いていました笑
お昼を食べる時もランチを見ると/食べると
母の温もりに触れたくなって急に泣いたり
食べ物が口を通らないんです。
3口でお腹がいっぱいになっていました。
精神的にやられてたんですね笑
とりあえず学校に通ってから1週間で、ちゃんとした病名はないんですけど、英語アレルギーになりましたね笑
抵抗してライティングは
全てローマ字で書いていました。
もう無理だったんですよ。
崖から突き落とされるレベルの話ではなく、
もう昇天するかと思いましたね。
なにが苦って、兄は高校に行っていたので授業外は携帯触れるんです。私は中学校だったので携帯というものを持っているだけで取り上げられていました。携帯依存症というわけじゃなく、わからなくて父にメールしたくてもできない、親戚が遊びにきていて最後空港まで見送れないからメールか電話しようとしても私だけできない。とりあえずなんか悲しかったですね、全てを自分の力で乗り切らなくてはいけなくて。
1番過酷すぎたのが、なぜか連れていかれた
6th grade キャンプ、どこだかわからないんですけど果てしなく遠い場所に連れていかれ、
そこに1週間滞在するんです。
でもそこがホテルとかではなく、寝袋で寝るみたいな感じで、シャワー1人3分みたいな笑笑
昼はグループに分かれて山々を探検するみたいな笑
私初日でホームシックになって救護室に行ったんですけど、精神病なので普通に追い出されましたね。
もうそこから毎晩泣いていましたし
その全員で寝袋で寝るときに、そこの管理人の人が寝る近くの電話をこっそり使おうとまで考えていました。
闇深いですねー
まぁそれをどうにか乗り切ったチビえなですが、そうやってどう1日を乗り切るか
ということを繰り返しているうちに
学校通ってから半年くらいですかね、自分から単語を繋げて先生に話すようにしたんです。
英語アレルギー克服した感じですね。
((日々の学校疲れでどこでも寝てしまうチビえなです))
そしたら学校通って1年経たないくらいの時
本当に急に!もう突然!
英語が日本語のように聞こえたんです👂
いちいち考えなくても
相手が何いってるのかわかるみたいな笑
自分が天才かと思いました
((ばか))
そこから調子に乗ってたくさんの人と
コミュニケーション取るようにしたら
喋れるようになってきたんです笑
そこからの生活はあっという間でした
英語がわかるようになってからの生活の
お話はまた今度しますね😂
本当に人生って何が起こるかわからないです
波乱万丈ですね笑
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