子供の声がうるさい】一軒の住民の苦情で公園を廃止、廃止を決定した長野市役所の対応をどう思われますか?子供が公園で 遊ぶ声を貴方はうるさく感じますか?



黒沢明の生きるの一シーン

この問題の議論を、他の議論に優先してなすべきか迷いました。けれど、その話は、私にある映画を思い出させてくれました。

そこで、誠に勝手で申し訳ありませんが、その話をさせていただきます。その映画の名前は「生きる」といって黒沢監督の小品です。

残念なことに、この映画を映画館で見る機会はありませんでした。ところが、私はその映画を劇場で聞くことができました。

それは、故マルセ太郎さんの「スクリーンない映画館」を「見た」ときのことでした。

この時、マルセさんの病は、既に相当進まれるおられることを

私は、つゆとも知らず聞き始め、忽ち「映画の世界」に引き込まれました。それは、今思えば、鬼気迫る熱演でした。

フィルムの生きるでは小田切みきさんが愛らしく、若き坪井きんさんがおばさんで、主演は大阪市水道局臨時職員の経験のある志村 喬さんでした。

津村さんの役は胃がんを患い余命一年の市課長であり、そのため減量されていました。「スクリーンない映画館」でのマルセ太郎さんの市役所課長さんも痩せておられました。

けれどそれは減量されておられたわけではなく病の進行によるものでした。

しかし、映画の中で、主人公が市職員として夢を実現したようにマルセは演劇人としての夢をスクリーンのない映画館の上映によって実現したのです。

課長の夢は、街の片隅のゴミ捨て場を小さな公園にすることでした。
今でこそ市中に小さな公園は多数ありますが当時の東京の下町には公園が少なかったのです。割烹着の母さんたちが公園を作ってと窓口陳情に行くと冷たくあしらわれていたのです。

それは、日本経済が戦後の復興をようやく軌道に乗せ始めた時代でもありました。そして、ようやく公園が完成したとき、課長はもう亡くなっておられました。
けれど、それは冴えない一市役所課長の死の物語ではなく日本の小さな希望を語る物語でした。

それは、死期を覚悟された役者が死にゆくことの悲しみを語るのではなく、生きていく事の喜びをただ一人で物語る「映画の上映」でした。

実際の映画館では、まだフィルムでの上映が普通に行われてた時代の話でした。塩銀フィルムの中のブランコと、マルセさんゴンドラの歌がとても懐かしいです。
https://youtu.be/vckPYjOits4

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Quora20230302転載

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