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【超難解】胡蝶の夢のような世界認識

こんにちは. ヤク学長です. 最近興味のあることから一つ. 

胡蝶の夢

「胡蝶の夢」という話を聞いたことがあるだろうか. 中国の戦国時代の宋の思想家の荘子による説話だ. 内容はこうだ. 夢の中で胡蝶としてひらひらと飛んでいた所、目が覚める. はたして自分は蝶になった夢をみていたのか, それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか, いったいどちらなのだろうかという内容の話である.

この説話は目的意識に縛られない自由な境地に達すれば「自然と融和して自由な生き方ができる」と荘子は説いている.  

胡蝶と自分の間には姿は違えども本質的な区別は無い、その主体を超越した転換のことを「物」と「化」それぞれを合わせて「物化」と呼んだ. 

戦国時代の活発な思想活動の中でも荘子は孔子でいうところの儒家を批判したことで知られている. 言語による是非, はたまた言葉のフレームの設定に対して言語による世界の分割と相対化に基づいた認識のあり方を否定し, 唯一絶対的な認識への到達を説いている.

荘子とはなんとも偉大なのだろうか.

つまり, 世界は言語によって枠組みされた見せかけに過ぎないということを言っている. 人が胡蝶の夢を見るのも. 胡蝶が人の夢を見るのも同じ本質にある超越的な「物」「化」の表れに過ぎないのだ.

言語を超越した世界認識

遥か昔に荘子が到達した言語を超越した世界認識は, いまとなっては演算処理が可能となったコンピューテ―ショナルな処理速度の向上と統計的なデータ処理がもたらす「自然化」によって実装されつつある. そのコンピューテ―ショナルな自然は言語による制約を受けずに, 現象から本質を取り出すことに一理がある.  

厳しい修行を行った修行僧やお釈迦様的な極限的思考の末に到達する精神的な悟りではなく, まるで人間の脳の神経系を模したニューラルネットワークによって機械に内部的な演算処理機構の末に生成されつつある. 

我々の言語は, 言うなれば言葉を用いる人間という,言葉を圧縮し関係性をネットワーク化する演算プロセスが, 集団的に生成する現象の次元圧縮装置の枠からそう外れない. 

それが世界を記述するシステムとして, 全くもって不完全であることが人類が突き当たっている近代の限界の根本にある. しかし, これまで述べてきたように東洋文明にはその完全性を超越しうる直感がある. 

言語によって世界をカテゴライズしてきた理事無碍法界から事象と事象のみが直接的に絡み合う事事無碍法界への契機であると考える . 
もしかしたら、近代的な解決困難とされてきた主要な命題が苦しみや叫び声をあげたとしても, これは東洋的思想の考えをアップデートすることで意味をなさなくなるのかもしれない. 

振り返ると近代西洋で発達した文化は「個人」を前提とした写実主義や印象はであったことを思い出して欲しい. 反対に近代東洋の日本の徘徊が到達した現象の本格的な体験を呼び起こすそうとものは極めて異質だ. 

自他の言葉でフレーム化された境界を超越した共存的な生物ニューラルネットの構造の共有を最高の美として崇拝する感性が存在している. 

機械学習の本質的思想

ディープラーニング以降の機械学習の本質的思想は意味論であるところのアリストテレスが説いた形而上的な領域に一切操作されず, 形而下の物理領域に限定した最適化によって問題の解決が図られることにある. 

生物はこの地上に現れた最初の情報処理を行う量子化機械とも考えられる. デジタルデータを用いてDNAはATGCの組み合わせで遺伝情報は記録され., 量子化されたデータと調整機能によって修復機能によってエラーを減らして次世代に情報が伝達される. その過程で編み出された複数の神経処理プロセスは人類が生み出したコンピューターによって循環的に繰り返されている. 例えば, 統計的な深層学習は人とそのデータの量産が生んだ1つの典型である. 

深層学習の多くのアプリケーションは現段階では視覚,聴覚, 言語情報などの限定されたパラメーターによって充足されてきた. その一方で, デジタルの作業は機械の不完全性を人間と言うコンピューターが補ってくれるのではなかろうか. 


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