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41.質を決めるもの→相手の立場になる=自分だったらどうする?→人間は怠惰で不誠実(寺を例に)

意識低くない民間サラリーマンなら考えたことあり、当たり前で今更なお話。

質を決めるのは、供給者ではなく消費者(需要者)

幾つか具体的に考え、実例をみてみる。

うまい飯食いたいと願う消費者が多い国では飲食店で供給する食のレベルは上がるし、罰則軽い+投票率低く選挙人()によるプレッシャーがかからないと代議士()は悪事働きやすい+堕落する。基本的に人間社会では消費者=他人のニーズを満たすことを求められるし、それ以上は頑張ることもない。

低レベルな事しても自己保身を脅かされることが少ない代議士(議員)や公務員や宗教法人や昔の医者などの質は低い(公=全体の利益の為に頑張るという職業倫理を守らずプロ意識もない)。もし自分が同じ立場だったらどうするかを考えてみればいい。

大半の人間は、親から自分の将来の為に勉強しろと言われてもあまりしない程度には興味ない勉強は嫌いである。

寺の人間に関しては、勉強せず教義に反することを教義のように騙り実質詐欺行為しても罰則なくお金儲けに支障がないので、他人や見たこともない開祖の為に興味もない経典読んだりしない。自分が寺の立場ならどうするか考えれば答えは明白。

これらから分かる面白い事実は、人間は、追い詰められたり、他者からの強制や圧力ないと本気で頑張らないし、最低限の誠意ある対応さえしないということ。

つまり、人間ってのは枷のない素の状態では他への誠意がなく、かつ、怠惰である。もし、誠意があり怠惰でもないなら、他人の目や法律による罰則がなくても、常にベストを尽くす筈である。

仏教的教訓

嘘ついたりしても法律による罰則がなく、批判されても自己保身を脅かされることなく(例:生臭坊主、坊主丸儲け、葬式仏教などの他職にないほどの誹謗があってもお金儲けに大して支障ないので反省しない寺)、無責任でいられる人間は信用してはならないし、録な仕事しないと決めつけるぐらいが丁度いい(∵大半の人は他人の能力や人格をきちんとはかれないので決めつけた方が間違い少ない。例えば、浄土真宗本願寺派だと99%?は開祖の書物さえ読まない。ここから、開祖を敬う気持ちや興味ない+信者(お金儲けに荷担してくれる人)へいい加減なことや嘘言うことへ申し訳ないと思う気持ちない+専門家と呼べないレベルなのに専門家を騙ることにやましい気持ちも感じない ということが分かるが、ここまで相手=寺の人をはかることは普通の人にはしないし出来ないので、寺はろくでなしで信用に値しないと決め付ける位が丁度いい ということ)。要は、「君子、危うきには近づかず、無警戒に信用しない」を実践すればいい。

コロナで再確認したが、ワクチンや補助金利権に関わる利害関係者(一部の医者やワクチン学会や政治家など)の発言に対して無警戒で疑わない人が一定数いる。人間ってのは無責任でいられれば=自分に被害がなければ(特に無知な人を)平気で騙すという事実を学ぶべき。学んでこなかった人は人生で他人の立場・気持ちを考える訓練をしなかったんだなあと分かる。「フルーツバスケット」というヒットした少女漫画があるのだが、とあるキャラ(紅葉くん)の台詞で、'僕は騙せても騙さないだけ'みたいなのがあったのをこの記事書いてて思い出した。

人間はお互いをあまり知らないから好意を抱いたりもするわけだが、明らかなペテン師や信頼に値しない相手に関わらない ということはちゃんと実践すべき。

やや重複するが人間の本性についてはhttps://note.com/yakudate/n/n75bafae92902 参照

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