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仕事へのプライドと向上心および寛容性

私は学歴に偏見を持ってはいないが、ときどき専門卒と大卒の違いを感じることがある。それはいわゆる客観的に出世したと言われる人に見られるものとなる。尚、これから書く話は私の個人的な少ない経験によるものでしかなく、一般的な話ではない事を最初に記しておく。

例えば専門学校で看護師になり、大卒看護師に紛れて一所懸命現場仕事に精を出し看護師長になったような人がいたとする。全員ではないにせよ、ある一定数は自分の仕事に物凄いプライドを持ち、我が城を崩される事を極端に嫌うような人もいる。

対して大卒で看護師になった人にも看護師長になる人もいる。その人らの多くはテリトリーが広く許容範囲も広く、他者や違う意見を受容する柔軟性も持っている。

専門卒の中で職業に満足してか、その後も大学に編入したり、大学院に進学するなど考えもなかった人は多いような気がする。そのような人は専門教育と現場にしか目を向いていない感じがある。もちろん全ての専門卒ではない。

対して、大卒の人は総合教育と多様性教育を身に着けているので、ある程度の寛容性を持って他者にも、仕事にも向き合う傾向にある。関連業務はもとより、周辺知識や、パラレル知識にも積極的に取り込める土台を大卒は持っている。もちろん、持っていたとしても全ての大卒がそれを行うことは無い。

どちらの生き方が良いのかは個々人の問題であるが、職業人として捉えた場合、仕事への個人的なプライドよりも業界への向上心や、他業種へのinspectやrespectは必要不可欠であり、その土台に寛容さが必要となる。個人的に思うのは、自分の仕事へのプライドよりも、職業人や専門家としての向上心や寛容性を持っている人の方が私は好きだ。

自分のテリトリーに自信を持ち、守り、しがみつくのも良いが、世界はそんなに狭くはない。せっかく看護師長をやっているのであれば、もっと広い視野が必要なのではないか、ちょっとした意見の違いに直ぐディスられたなどと被害妄想を抱くのではなく、笑って聞き流せ、できればYes,andで話を発展させるような振る舞いが出来ないのかなぁ~と思ってしまう場面があった。

自分の職業は特殊で、誰でも簡単に出来るものではないというのは、私に言わせれば甚だおかしい。何故ならば世の中の仕事の殆どは、一般的な誰にでも出来るものしかない。特殊な人にしか出来ない仕事は、一部の天才的な芸術家やスポーツ選手の偉業仕事くらいなものであろう。

それ以外の世の中にある仕事は、誰にでも出来るもので、その意味で職業は平等に開かれている。問題は、その仕事を自分がしたいと思うか、思わないかの個人的判断があるに過ぎない。

できるけどやらない人はいる。やりたくて出来ない人は基本的にはいない。才能の有無には壁はあるが、特殊能力な必要なものでなければ誰でも努力すれば報われるものである。
でも、報われてもその後の向上心が続かなかったり、寛容性が乏しかったりすると、残念な結果になるかもしれない。
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【記】やく・たたず(屋久 佇(竚))


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