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夏休み自由研究

時期柄いろんなところで、子供の夏休み自由研究になりそうな話題のイベントが行われている。
それはそれで結構なことだと思うのだが、なぜ企業や行政や大人たちが子供の夏休み自由研究にコストと時間をかけているのだろうか?
また、そんな定食的な、セットメニュー的な自由研究を子供にさせて、大人は何が楽しいのだろうか、今一つわからない。

自由研究は自由なのだから、その子が本当に知りたいこと、やってみたいことをやらせて、見守ってやる(時には相談に乗る)だけで良いのではないだろうか?
まさか、インスタ映えする自由研究を子供にやらせたい、親として見栄を張りたい、子供を自慢したいという欲求が親側にあるのだろうか?

自分のことを思い出すと、小学生の頃だと毎日流れる雲を観察しスケッチしたり、太陽光を虫眼鏡に当てると燃えるのに透明なセロハンだと燃えないし、ガラスでも燃えないのは何故?とか、パンを小麦粉から作ってイースト菌の量や温度や発酵時間の違いでどう変わるかやって、美味しいパンを食べたりしていた。

小学生の自由研究の本来の趣旨は、子供らに不思議と思ってもらうこと、何故だろうと考えて貰うこと、失敗することも楽しいことだと感じさせること・・・だと思うのだが、なんで素朴に受け取れないのか良く分からない。

ところで、高齢者になって自由研究をすることはないが、社会の片隅に起きている色々なことを散策しているのは楽しみを感じる。この脈略のないエッセイを毎日書いているのは、もしかしたら私の自由研究かもしれない(笑)
#note   #エッセイ   #高齢者   #フリーター   #役立たず
【記】やく・たたず(屋久 佇(竚))

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