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ある種のいらぬ飛躍の否定が別のそれの肯定に繋がってる恣意化からの、知性や倫理の解放を目指して、資本主義共産主義の位置づけに触れつつ(008の続き)

2022-10-009

008の続き

救済(対自己込み)で言えば、
(自身にとっても外界にとっても)受容に値する状態(帰属に修正余地がない状態)に近づくよう働きかける内容ではなく、
通念的や独善的な幸福観の押し付けなり、受容に値しない願いを叶える介入なりがそう見なされてる、

現状見受けられるこのズレが、そのまま文系知性(倫理と表裏関係)にも言えて、

同種の他との共通要素の捨象を用いた抽象化や具体化の精度最大化状態から成る歴史(抽象化具体化の交互反復)を、
受容に値する歴史とし、そこからの乖離を問題にする類の歴史把握や歴史観と、

具体化精度に鈍感な歴史把握や歴史観との間のずれが、
例えば、民主制や市場に対し、その失敗なり限界なりを捉える事はできても、
受容に値する状態へと修正する働きにまでは至らない状況を作ってるのだと思われます。



そもそも、対過去は所謂、テキスト解釈問題の構造を持ってると言えます。
つまり、課されてる条件上の最善からの乖離に対する不問が、書き手に対して展開される相対主義(書き手への過小要求)と読み手に対して展開される絶対主義
(書き手への過大要求であり、パウンドフォーパウンド的な観点を持たずに、現在から過去を断罪する形になる)、
という対過去に限らない、対象理解一般に拡張可能な構造があるわけで、


埃を払い汚れを拭う実態露呈の分だけ、前者(相対主義)の方が後者(絶対主義)よりも知的作業の付加を確認できるとしても、
いらぬ飛躍の除去は表層次元に対してだけである(解像度が上がろうとも表層を洗練させてるだけ、表面をなめしてるだけに過ぎない)為、

そこには、両者に質的違いはない(知性や倫理が、ある種のいらぬ飛躍の否定による別のいらぬ飛躍の肯定という恣意化の様相を呈してる)のに、前者で満足してしまう中途半端さ
(できないや失敗も、引き受けざるを得ない類の有限性形態の反映であれば受容条件が満たされてると言えるにもかかわらず、そこで止まる理由がそうではない)を持った理解観の問題

(受容条件を満たしてない類の低理解力は、理解対象への不当な反応を意味する)まで含まれてると思われます。



もちろん、形式論理学的な処理を持ち込み、書き手次元読み手次元をフラット化(同種の他との差異要素の捨象次元への落とし込み)したところで、
先の最善からの乖離を解消する事にはならず、むしろ受容に値する像へと至る道を積極的に捨ててしまう不当合理(過剰特殊をこれに振り替えただけ)と見なせます。


なので、実力とは対象に関して持ってる抽象具体の関係構造が現実の持つ複雑さにどれだけ通用してるかであり、
対象に関する抽象具体関係構造を確立できた感でしかない理解について、抽象化具体化の不足を、

理解の対象者が獲得してる理解(存在性発現の演出的フィルターと見なせるだろう芸術家が存在性に採ってる態度のようなものも込み)に対しても、
できればその不足の原因についての仮説込みで、捉えるところまで含めて対象理解とする理解観の不在、

倫理的観点で言うと、怪我してるならしてるなりの最善はあるわけで、条件上の最善
(内在事情外在事情の代替不可能な要素にのみ応じてる有り様は、理想が現実によって割り引かれる程度を最小にしてると言える為、これに相当するはず)
からの乖離は誰もが咎められるけれども、誰であれその最善以上のものを要求される事はない、過小要求過大要求阻止な平等観
(この意味で同じ原理をもって過去も現在も扱う態度)の不在に、修正点を見るべきなのだと思われます。



例えば、数字化を、局面の要請に合致してるケースとしてない領域侵犯(不当合理)のケースとを区別せずに否定してる形(局面との一致不一致の問題意識化が機能してない事態)なのであれば、

過大な否定であり、実際に不当合理であったとしても着せ替えてるだけで問題点をそのまま残す反動反発(表層形反転)に他ならず、
上の話とは向きが逆ではあれ、受容に値しない状態を保存する振替である点は同じであって、

事実上、この表層レベルの反応の内容で資本主義を批判してるケースが、知的上層にも見られ、
また、疑問を持たれる事もなく受け止められてきた(何らかの権威がそれを助長してきた)と言えます。


ここで、資本主義共産主義を、上の話を踏まえて眺めるなら、過剰特殊と不当合理との間の排他的二択というより、
実態主義止まりの市場(相対主義)を不当合理込みの数理的展開で洗練させる方向と、不当合理な平等観を成り立たせる為に市場否定(絶対主義)を展開する方向

(計画経済のAI化は、言わば侵略志向を皆が持つけれど武器がないので平和である的な、強引な達成でしかなく、
受容に値しない願いはそのままである為に、受容に値する状態へと持ってく救済を本筋とした場合の次善の策に当たると思われ、
にもかかわらず本筋扱いしてしまうと、神仏による救済に関する先のズレに相当する誤解のパターンに陥ると推測される)から成ってるように見えます。



いずれにせよ、具体化精度への問題意識が機能してない知性や倫理の産物(その問題意識が反映されてない肯定否定によって社会をつくる話)であり、

文系の空間自体が、不当合理と過剰特殊の二択に話を矮小化する地平に縛られてる(哲学がこのパラダイムに無力であり続けてる)弊害の一つとして、

平等と自由の対立構図も、利己利他を個々具体とする抽象具体関係構造に関する実力不足な対他者も、
局面差異をはじめとする具体化精度に鈍感なまま加工(嘘や演出も、反動反発はもちろん、解決原理の上限化前の生やそれを正当化する反応まで含まれる次善の策も込み)の過不足問題に取り組む実力不足な対加工も、
いらぬ飛躍(文系的な抽象化具体化の不足)に鈍感なまま構築された論理観も、

また、先の不在を抱えてる歴史把握や歴史観による資本主義共産主義への肯定否定、
さらには、言及が経済や政治を受容に値するものへと修正する働きにまでいかない状況もあると捉え、


以下の側面(具体化精度への問題意識が機能してない現れ)を見出せる言動に対し、
文系知性や倫理の働きが不十分なものというポジションを与える空間へと、文系を変えましょう。

(文系的な抽象化具体化の不十分さをスルーしてるのに理解力が高いとか論理的であると自負してる人達が、
概念なり主張なり、いらぬ飛躍の内包されてるものを流通させまくる状況を終わらせましょう。)



表層形への拘り(成立自体への、つまりは、量への志向込み)や疑似化の許容など、
要請される局面もあるに過ぎないもの、局面次第なものを全面展開させてる。

(確からしい抽象具体関係構造へと持ってくには、つまり、実力や理解の上限化には、
具体形パターンが網羅されてる状態に近づくよう開いておく、具体化精度の高いものと低いものが区別されてない抽象化をしない、これらが必要だろうに、

局面に合わせる能力が、過大反応過小反応を抑えてくれる、局面と着目無視との合致について果たせるレベル、その振り回されなさをもって平等観や自由観を構成できるレベルでは機能してない。)


代替不可能な内外事情にのみ応じる主体像(個人であれ企業や国であれ)と整合してない獲得喪失
(局面と着目無視との一致不一致に鈍感な為に、話を矮小化させた上で通用領域の広狭と確からしさとの相関を、意図せずとも持ち出す形になってる類の帰属操作込み)に疑問が持たれてない。

(局面と着目無視との合致の下での振る舞いは受容しない方に非があるとの理解と重なるものである、
上の主体像と整合的な獲得喪失の結果として築かれてる固有性は得手も不得手も受容条件を満たしてるとの理解が、

パラダイムをはじめとする枠組みの、脳へのインストールにおける受容拒絶、更新廃棄の原理になってない。)


同種の他との共通要素の捨象に十分さらされているいないについての区別が、
言い換えるなら、存在と引き換えに引き受けざるを得ない固有性が埋没していないいるについての区別が(疑似化許容の全面展開に等しいにもかかわず)つかない

(場の性質に対するこの事態は、場への過大な否定である反動反発として場を荒らしてるケースと、
場の本質に合わせた結果に場を荒らす役回りを引き受けてるケースとの区別がつかない事を意味するわけで、

内面や局面であれ何らかの社会であれ、価値付けを場に任せる尊重を、ひいては、主語の切り出し等の言語運用能力や、空気を読む等の状況対応能力を、形骸化させる)為に、

有限(内外境界発生)の与件性、より確からしいものが取って代わる運動性、
例えば、否定反応もこの後者に含まれてしまう以上、回避不可能な原理と言えるこれら、合わさる事によって不可避な限定の疑似化を防いでくれるこれらに、
帰属がある現象とは言えない段階のものを、対自己なり対社会なりで帰属の修正余地がない(いらぬ飛躍がない)との判断下してしまってる(文系知性や倫理の機能不全事態)。


内在の性質と外在の性質が合わさって現象に成り、両性質が確からしいほど現象も確からしい
(不可避でない限定の肯定も、不可避な限定の否定も含まれてない状態に近い)、
との現象観(実力や理解の上限化の必要性込み)が内面化されてる有り様からも距離が生じ、

代替不可能な内外事情にのみ応じる主体像(の反映であるもの)に、存在現象の望ましさを見出せてない(余裕がある時の消費や投資の優先対象になってないなど)。

当然、その主体像との遠近(内実の確からしさ程度)と有り様への肯定否定とが整合しない為、事実上表層形のみでの断罪(冤罪的非難)を繰り返してる。

ご支援の程よろしくお願い致します。