無題0

これまで包含関係を疑ってた、知性と倫理の関係について再考してみた話

2019-11-009
日本の宗教と秩序事情に関するスレへの投稿内容


知性と倫理について、同じ対象をそれぞれ別角度から見たもので、
一方に生じてる偏りが他方に何らかの影響を及ぼしてる関係を疑ってます。
有限性(内外境界の存在)は与件(内外の性質統合が現象)であり、
抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究、
問われるべき事(場の本質)と捨象(着目無視)の合致配慮(場を越境しない配慮含む)、
この両者の相補性から成るいらぬ飛躍の除去による、有限性の代替不可能化をもって、
有限性をやむを得ないものに限る事ができるだけ。
あるべき歴史性はその最大限追究を微視的とした時の巨視としての、抽象と具体の行き来。
(行き来にいらぬ飛躍の除去を求める、有限者の自己責任な側面含む歴史観は対ヘーゲル類型で必要。)
その合致配慮は場での存在の原理(場への通用が存在要件)を機能させ、あるべき秩序を齎す。

以上の事情を、理解(対象に関する、抽象と具体の関係構造を確立できた感)の確からしさ獲得、
知的枠組みの質獲得の観点で捉えると知性の話、
上の最大限追究を欠けば自由は、上の合致配慮を欠けば平等は、上の相補的両者から乖離すれば幸福追求は、
形骸化する等の観点で捉えると倫理の話になるイメージです。

近代科学の実績もあってか、同種の他との差異要素の捨象に特化し、共通要素の捨象を埋没させてる、
知性観や理性(内在性への局面に合わさせる作用)観での欧米的バイアス。
絶対性(場に合わさない)の感覚と結び付いた神(解放者)観念を抱いてきた上に、
神に類する位置に人が就く複数の経緯持つ欧米(世界の現主導者)の個人観や倫理観、統治観でのバイアス。
それらに引きずられないよう意識しつつ、場の表層でなく場の本質に即した役回りに引き受けを限る、
場を越境しない配慮でもって安定を得る(理解の不十分さ等、次善の策が必要な局面にマニュアルは限る)、
それらも日本の達成課題として意識していきましょう。

ご支援の程よろしくお願い致します。