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3079文字、文系的事象に対する言及がこれまで埋没させてきた、ある観点について

2023-9-008

緊急事態が発生しても、発生してないのと同じ状態に寄せてくれる(不時着などで惨事度を下げてくれる)程ありがたい以上、
シミュレーションして、判断条件に制約ある緊急事態でも理想現実関係が安易な内容とならないよう、

また、惨事の抑制程度がどうであれ安易な仕方なさの提示とならないよう準備をしておくに越した事ない
(専門関連であればそもそも、具体形パターンの網羅具合が実力であるとすると、
イレギュラーに対応しつつ大事にさせなさを獲得するのは、実力向上の内である)とは言えるのでしょう。



しかし、シミュレーションであれ思考実験であれ、検討しておくに越した事がなかろうと
(閉じてる状態を開く効果があるにせよ)、次の観点を埋没させるのなら有害であると考えます。

代替不可能な内外事情にしか応じない実存は、修正余地のない事情しか持ち合わせてない
(真善美との間に生じてしまう距離、内外境界発生の事なので遠近発生でもある有限性故に生じるそれが、実存現象に対する帰属修正によってその時点での最小である、
言い換えると、存在するのと引き換えなものしか真善美に対し負わせてない事態である)為、

属性等の表層によらず、したがって、表層形が似ていてもその実存(と獲得喪失有り様とを整合させ続けた結果の有限性形態)を生きてる個人は修正余地を持たないし、

その実存でない個人(もっと言うと、個人に限らず、抽象化具体化の精度最大化の下での交互反復から成る歴史である事を、
獲得喪失に先立たせてない、いらぬ特化に鈍感な有り様)は、修正余地持つ個別性の反映物を外界に負わせてる。


また、その実存だけから成ってるのではない社会は修正余地(修正されるべき帰属関係)を持ち、その実存と同等の主体像の下で国がその実存だけから成ってる社会
(自国他国国際ひっくるめた抽象像から、注力割り振りを選抜する際の具体化条件もその主体像としつつ、
対自国社会では主に教育を通じて)へと寄せてるのでないなら、その国は修正余地を持つ。



これら観点(同種の他との共通要素捨象を用いた抽象化具体化についての不十分さの解消が、
文系的事象に関する、その時点での修正余地なさへと導く問題解決原理であるとすると、

上の実存でない人が文系的事象に対する振る舞い、特に、そこに内包されてる理想現実関係に覚える妥当感は、
林檎を数えられないのに蜜柑はできてるつもり的原理不在を意味するとの理解込み)を、


ひいては、緊急事態なり判断ミスなりが修正余地なさの下で生じているいないの観点
(偽装された仕方なさを負わされる受け手の発生という帰属操作状況への対策に必要な観点)を、

埋没させるのなら、責任帰属含め、小手先の話をしてるに過ぎなくなるからで、
戦争やいじめへの言及にも言える話だけれど、哲学という装いをしてるなども含め、権威が埋没度を高める効果を齎してるのなら、その権威は効果に相当する分の責任を紐付けられるべきと思います。



ところで、上の実存であるとか、上の実存だけから成ってる社会であるとか、
そうした個人や社会へと寄せる修正が余裕等の条件故に上限に達してるといった内実の確からしさを、損なってない類の表層形に対する支持は、
もっと言うと、抽象化具体化不十分さ解消によって帰属関係に修正余地がない状態と言い換えられる内実確からしさ上限化の下での表層形開放は、帰属操作の拒否に等しく、

知性倫理美意識の働きは形骸であるほど帰属修正に帰属操作が混入していて、帰属修正の体系としての学問にも同じ事が言える為、


内実の確からしさと無関係に、競争形と協調形の反転のような表層形反転で解決した気になってる、
単なる着せ替えな内容を許容してる学問体系は形骸化状態にある、と見なせるはずです。


そして、肥大化した現実尊重と現実軽視との二択枠組み、理想を割り引く程度を最小にする現実尊重が紡がれてる歴史である事をもって満足するルートを塞ぐ矮小化であるそれが、

哲学でもまかり通る(功利主義と義務論の対比もこれ)など、哲学においても単なる表層形反転が許容されてる
(というか、実態を内実の確からしさ不問で根拠にする類と、代替不可能的かどうかによらず現実的事情をくまない類との対立構図から脱する術を、境界曖昧化ぐらいしか持ってない)現状は、


局面と着目無視設定との合致への志向を、客観視についてしか教育に組み込めておらず、
合致状態での反応を基準とする過小を過剰な見て見ぬ振り、過大を過剰な大騒ぎとした時の、中学期に先立って妄信と反動反発の同時否定を可能にするだけの、
反応の過小過大部分の除去を支援する教育内容に、未だなってない弊害と思うので、


内実確からしさを損なってる類の表層形、例えば、個々事情が同種の他との共通要素捨象に十分さらされてない分だけ仕方なさを偽装してる形になってる負わせ負わされの発生元なそれに対し、

計算ミスに対する整合不足の指摘と同等レベルの、通用の行き渡っていなさの指摘対象とする修正が、既存教育に必要と考えます。



実際、帰属操作への鈍感さが権威と結びつく事で、権威が奪う奪われる現象の保存に注ぎ込まれてる形となってる事態は十分あり得て、

権威を帯びるにせよ、権威に接するにせよ、この事態への対策として、フェアを越えた尊重に与しないだけの具体化精度確保を、
帰属操作Aを肯定しながら帰属操作Bを否定する整合不足が修正され、対帰属操作が確からしくなるそれを、対権威に先立たせる必要があり、

これを認めると、学問が保存側になるか帰属修正側になるかは、フェアを越えているいないの差異を包含する、局面と着目無視設定との一致不一致の差異にかかってると言えるはずです。



ちなみに、帰属操作の具体形パターン網羅を高めつつ、着目する帰属操作を局面に合わせて切り出してくる処理における抽象化具体化に、不十分さがあるなら帰属修正の対象です。

ここで、被限定のない状態と引き受けざる得ない限定、その時点での割り出し上限なこれらの統合体である事が、修正余地のなさを意味してると認めるとして、


フェア志向でなければ自身を場に合わせて具体化する精度は低く、自身の個別性を仮説として見た時のその仮説が受ける検証の精度が低い以上、
少なくとも、仮説改善の上限化に相当する個別性(内面世界での割り振り原理)は得られませんから、

フェア志向でない人の内面世界での割り振りは、(本人にドーピングによる金メダル的茶番な割り振りの受容を、
強いてる自覚がなくとも)場に置かれてるものから見て引き受けざる得ない限定を受けたとは言えず、


何らかの外在秩序(他者の内面世界込み)やその受容的有り様を否定的に捉えた時点でその人は、
上で言う帰属操作ABの形となり、したがって、帰属操作の具体形パターン網羅を上限化すらさせてないと見なせる

(具体化精度の低いものまで網羅すると仮説改悪フィードバックによって質的に閉じるのに、
自身の実存が上の意味での修正余地なさを満たすかどうか見ない以上、パターン網羅が量的だけでなく質的にも閉じてると疑える)為、

フェア志向でない(ひいては、実存現象の帰属修正が先立ってない)点をもって、
批判についての実力は高くない(修正余地の有無を論点にしてる内容にならない分だけ批判が、

修正余地のなさ以上を求めるとか、都合の良い修正余地を保障するように振る舞うといった、
修正余地ある割り振りの着せ替え試みでしかない側面を持ってしまい、負わせるに値する状態にまで持っていけてない段階のものの負わせ合い世界の外に出ない)と解しましょう。

ご支援の程よろしくお願い致します。