信じ合えると合えないについて。
俳優の東出くんと杏さんの不仲がメディアに取り上げられてるみたいですが、杏さんも過去に問題が、あったそうです。だから、どうとか私が、言う立場ではありません。でも、ある種のドローゲーム、引き分けのゲームになってしまった気がします。
ただ、この後、夫婦を続けるのか、続けないのか、信じ合えるのか、信じ合えないのか、信じれるのか、信じられないのか、そこが問題だと思います。(基本的に当事者の問題なので、とやかく言いません。)
直接全然関係ないですが、コロナウィルスが広がる状況でも、「人を信じられるか、信じられないか、合えるか、合えないのか。」がとても大事な気がします。信じられないとトイレットペーパー等、生活必需品の買い占め等、起きたりします。それを見た他の人も心配になって、一気に店から無くなってしまいます。本当は、みんなに行き渡るはずなのに、買えない人が、出てきます。ご病気等で、衛生面に特に気を付ける必要な方がおられます。そういう方が生活資材がなくなったら、特に困られます。
コロナウィルスも感染症ですが、こういう相互不信も広い共通の概念として感染症とか、感染症みたいだと思います。ある種、感情も感染症の様にどんんどん移っていくという考え方があります。もちろん、人と人との間で鏡のように写しあう感じだと思います。もちろん、写り(移り)安い人、にくい人が、いると思いますが、相互不信の状況は、出来れば抑えたいですね。
コロナウィルス感染が広がらずに。家にいても皆の笑顔が保てる状況がいいですね。そのためにも、相互信用、(信じる、信じ合える状況)が大事だと思います。「テセウスの船」や「JIN-仁-」等のドラマも基本的に人間はお互いに信じうるに足る生き物かという問題が描かれていると思います。私は、相互に信じられる生き物と言い切りたいのですが、我々の行動ひとつひとつが問いへの答え(応え)となっているように思います。