あなたがいたから 読書感想文を書いてしまった3つのきっかけ
1週前の週末、キナリ読書フェスの企画を見かけ、感想文を書いた。その企画をしかけた岸田奈美さんが「銀河鉄道の夜」のことを書かれていたので、私も同じ本を読んだ。2日間だけのイベント。締め切りである次の日、投稿した。
感想文は、書いてみようとも書いてみたいとも思っていなかった。ジャンルの好ききらいでいうと、感想文はきらいな方。正直、書きたいと思ったのも、書き上げてしまったのも、投稿したのも、その時も今も、不思議だ。
なにかがさせた、という感じ。書いた内容についてはおいといて、感想文を書く、ということ。やりとげたこと。投稿までしてしまった思い切りも。送った時には、どうしても投稿したい、とさえ思っていた。その上、一週間後に、感想文を、もう一つ書いた、、、。
こんな気持ちになることに、びっくりする。note マジックを、始めた半年前から、いくつも味わってきたが、これも、思いもせぬ経験の一つになった。
感想文を書くきっかけになったことは3つあった。3人、正確には。ホップ・ステップ・ジャンプで。
ホップ:かなこさん
かなこさんは、その頃、noteの感想文企画に参加して、課題図書を読み、感想を挙げていた。それも、いくつも。
かなこさんの文章には、文学少女の香りがある。艶もある。どきっとすることも書く。そして、品がある。10冊読むつもりだというかなこさんの言葉に、びっくりもする。書くのもすごいが、本を読むのも。それも、そんなに何冊も。
そして、すべてを実行し終えた報告も、その後あった。そのバイタリティーは、私にはない。だいたい、かなこさんは、文学部員のようでいて、トライアスロンを本気でするアスリートだし。
かなこさんの感想文を見て、自分も書こうとは思っていなかった。まねはできない体力、知力、底力。
でも、かなこさんの書評をいくつも目にしたこと。それが、薪、になって積まれたことになった。
ステップ:岸田奈美さん
岸田奈美さんは、note を始めてからすぐ、キナリ杯の名を見かけることが多くて知った。大ファンと言う人も多いし、フォローしている人の中でも、「次元が違う」とか「スター」、「神」とかいう言葉で語られるのも見たことがある。
だから、ちょっと敬遠していた。note 出身作家ということで、岸田さんをそうやって仰ぎ見るのが、note の中での他の人たちのランク化や、優劣をつけることにつながるような気がして。私もきっと、作品を読めば憧れてしまうのだろう。プロの作家が、私と同じプラットフォームにいると思って舞い上がりそうな気がした。参加者の差別化を、自分自身がしてしまうんじゃないかと不安に思った。そしてそのうち、自分が、誰が有名で、とか、なにかの数、とか、気にしたくないことを気にするようになるのでは、と。
note の中には、色々な考え方があって、それはしかるべきだし、たとえば、私のように、ひとり杞憂する者もいる。有名になる、とか、プロに、ということを公言もし、追っている人も、それはそれで、目標や夢があっていいなあと思う。でも、書く人みんなが、同じことや同じところを目指しているわけではない。
みんなが甲子園に行きたくて野球やっているわけではないと、私は思うし、戦国時代の武将がみんな天下を獲ろうと思っていたのでもない。(もちろん、ねらってないのに、そういうチャンスが来たら、その人たちも嬉しくは思うだろうし、よっしゃ、自分も、と思ったりはするのだろうが。)
と、ここまで書くことがあるほど抗っていた岸田さんの記事を、読んだ。
その週末、ふと出てきたおすすめかなにかで見かけて。銀河鉄道の夜、のこと。案の定というか、自然に、岸田さんの文章の軽快さと、それなのにある深みに、魅せられた。そこで、キナリ読書フェスの企画を知った。企画ものは、まあまあ好きだが、感想文なんで、興味はなかった。でも、岸田さんの書くものをもうひとつ読んだ。
フーンと読み始めて、読み終えた後は、やや興奮。すぐ、なにか書きたい気がした。同じように取り組んで書いたみたい気がした。付箋を、まず買ってくるところから?いや、本は電子書籍でばっかり買ってるし。
その日と次の日、2日で催されるというキナリ読書フェスで、紹介されている本の一覧を見る。読んだことのあるもの、なし。これから読む?
なじみを一番感じるのは、今さっき感想を読んだ「銀河鉄道の夜」。電子書籍で、読んでみた。初めて読んだ、通して。あまりに色々なところで見聞きするので、読んだような気になっていた作品。こんなに、外国小説風だとは知らなかった。新鮮さばかりが残った。
まだ、書くとは、踏んぎれていない。これが、火種。
ジャンプ:折星かおりさん
岸田奈美さんのを読んだ同じ日、数時間後に、折星かおりさんが挙げた記事を目にした。折星かおりさんは、誰かの作品を読み、その中の3つを取り上げて、感想文を書いている。週に一回。もう半年以上の取り組みで、その日、24回目は、私の回だった。
私の好きな書き手のひとり、水野うたさんの作品への感想文を読んだのが、そのひと月前。感想文を書く対象への申し込みを呼びかけられていたので、思い切って手を挙げていた。
感無量。だれかに読まれることのうれしさ。水野うたさんが、読み手は書き手を育てる、とコメントされていたが、まったく。ありがたかった。
同時に、私は、半年前にnote に、逡巡に逡巡を重ね、ようやっと参加しだした頃の自分を思い出していた。そして、詩を書くようになった20代の終わりを。そのうち全く書かなくなった、次の20余年のことを。note を始めた時の、そして今も、切なる願いは、書くことを日常にしたいということ。
その時の気持ちは、次の日に自分の記事にもした。
自分が書くこと。投稿してしまうこと。それを楽しむこと。書く目標が、天下とりや甲子園出場じゃなくてもいいじゃないか、という気持ち。でも、読まれたいし、それを確かに喜びにも励みにもしている自分。
そして、感想文という形式。
折星かおりさんが、私の作品を読みこんで、気づいてくれたこと。自分で、はっきり見えていなかったことへの言及。読むことにとってくれた時間と労力。
これが、油になった。
火がついて、私は、のめりこんで書いた。
思ってもみなかったことは、思ってもみなかった状況で、組み合わせで、時間で、起きた。週末だったのも幸運だった。2日間だけの催し、というしめきりがあるのも、私にはありがたかった。読み直しも書き直しも、重ねられなかった。頭もいっぱいで、もう、あとは次の日。1回読み直して、それでいいことにしよう、と区切りがつけられた。時間さえもっとあれば、と自分に言い訳もできた。
なんにせよ、私は、書くはずのなかった文章を、それも、読書感想文を書き上げた。投稿した。
折星かおりさんに書いてもらった、私の書いたものへの感想文は、今年いちばんのぜいたくな経験になった。同じように、感想文という形式で、それも楽しんで、書いたことは、今年いちばんの思いがけない経験になった。
三人のみなさん、一人一人に感謝。
事情やいろいろな思いを抱えるジョバンニが私だとしたら、夢の中でいっしょに銀河鉄道に乗っていたのは、このお三方だった。(ご本人らには、あずかり知らぬことだが。)
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蛇足。
キナリ感想文フェスのしめきりを、その日のうち、と思い込んでしまっていた。午後9時だったことに気がついたのは、次の日だった。別に賞を狙うとかではなかったので、書けたことだけでも、大満足してはいた。でも、ちょっと残念な気がして、別の企画もの「秋の読書祭2020」のタグを、つけ加えておいた。甲子園めざしてなくても、大会のお知らせあったら、やっぱり色気出るわなぁ。私だけか。